道化が見た世界

エンタメ・エッセイ・考察・思想

武勇伝系男子

昨今では、絶滅危惧種に指定されている希少価値の高い「武勇伝系男子」の生存を、私は最近大学キャンパスの喫煙所で確認した。 武勇伝系男子とは、自分の若気の至りである痛ましいエピソード(そのジャンルは軽犯罪やイジメ、暴力など多岐にわたる)を、なん…

解き放て自分

そこにモチベーション、原動力があるにも関わらず、それを上手く行動として具現できない諸要因は、様々にある。私はそれを、行動に具現できない自己であるからこそ、綿密に省察してきたと自負している。最も、こんなことを自負していても皆目意味は無い。 思…

ゾンビゲーム

今インスピレーションが天から僕の頭に降りてきて、凄い遊びを思いついてしまいました。その名も【ゾンビゲーム】。 日本でポピュラーな遊びに鬼ごっこや、ドロケイなどがありますが、ゾンビゲームはこれらに匹敵するゲームの位置付けです。では、遊び方を順…

ファルス的会話講座(1)

◆会話空間の基本的認識 「会話」とは、話し手である主体、聞き手である主体がペアとなって初めて成立します。ここでは、話し手が喋ること(act)と、聞き手がそれに反応すること(react)によって、その連続性が会話空間を生み出します。つまり、act-reactの…

こころは見えないけれど

先日電車に乗った時、奇遇にも席が空いていたので座っていたんだが、自分が乗った次の駅で腰がベンドしてるおばあちゃんが乗車してきた。僕は、その瞬間、そのおばあちゃんに席を譲ろうかと思ったが、断られたらどうしようと、誰もが経験する葛藤に、例によ…

企業の「お祈りメール」の本質

企業のお祈りメールに就活生一同が心を折られるのは、「自分は社会的に必要の無い人間なのかもしれない」というクリティカルな問題に直面しなければならないからである。故に、祈られる回数が増えれば増えるほど、自己の心の安寧はぐらつき、ゆくゆくは音を…

内向的少年の恋愛的煩悶

もし仮に、私が自己批判の眼から免れることができ、他者を一方的に糾弾する特権を手に入れたとするならば、私は彼を許さない。何故なら、彼は私が欲する人を手に入れたからである。 彼に備わっている人間的魅力というものを、私は皆目理解できない。だから、…

私とウンコについて(2)

結局のところ、私は私のウンコとその一日を共にした。しかし、本当に信じられないことだが、クラスの誰一人として私がウンコマンであることを悟る者はいなかった。 もし、なんびとが私のウンコのほのかなカホリを察知し、「何かにおわない?」「本田君の周り…

私とウンコについて(1)

先日、小学校の同窓会があったのがきっかけなのだけど、小学生の頃を思い返してみて、印象的で、おそらく面白いであろう話が一つ見つかったので書いていきたいと思う。 しかし、一つの問題がここに浮上する。日記のタイトルにもあるが、内容は「私とウンコに…

ウケる為の技術

先ほどまで紹介してきた「ウケる為の心構えSTEP1〜3」は、私が去年の1月頃に執筆したものである。あの頃はちょうど自己の価値体系と社会のそれとが合致しないことに対して苦悶していた時期で、文章の中からは垣間見えないが、切迫したもの―つまり、自己の価…

ファルスのspeaking/writing領域(2)

私が用いるファルスは主に言語を媒体として発信されることは既に述べたが、今回はその媒体となる言語の領域(speaking/writing)についてそれぞれ詳述していきたい。 二つの領域の特質を端的に表すと、speaking領域でのファルスは動態であり、writing領域で…

ファルスのspeaking/writing領域(1)

私が人を笑わせる為に用いるツールは主に言語(即興・アドリブ的なspeaking/理詰めで推敲できるwriting)や表情(変顔)などである。 私がこの中で特に魅力を感じるのは、推敲を重ねて完結的な世界を再構築できるwritingにおける笑いである。 mixiとは私に…

ディスりへの対応の仕方

他者にdisられた場合、一般的には心が傷付きます。disられた側は、おおよそ次の様な対応をとることになるでしょう。1、ただただ落ち込む 2、disった人間を非人格者として軽蔑し、第三者に愚痴る 3、何か別の対象を用いてフラストレーションを発散させる …

ファルス論理体系

・speaking領域/writing領域の区分 ・ファルスの実益的効用 「場の空間的席巻」――秩序形成、発言権の相対的強化、大衆の支持獲得、他者の緩やかな排除 ・空間的構造 「白紙から形成される社会」/「汚染された既存社会」――上下関係による抑圧、汚染された既…

ファルスの相互補完的世界

自己は他者との連関の上で成立するという前提条件を私達は案外忘れがちである。 ファルスもその例外ではない。ファルスとは、自己と他者のact-reactの相互関係によって完結する。ピン芸人は、自己―観客の相互関係によってファルスを成立させるが、react側の…

笑いの膨張主義的側面

面白い人間の中には、自分の面白さに無自覚的な人間(天然などの気質的起因ではない)と、自覚的な人間がいる。 そして、自覚的な人間を二分すると、自分のことを面白いと思っていて、実際に面白い人間と、実際はそうでない勘違い人間とがいる。後者の人種は…

パワー概念としてのファルス(3)

前回、割愛すると宣言していた「場の空間的席巻」の具体内容である秩序形成、発言権の相対的強化、大衆の支持獲得を、やはり順を追って解説していくことにする。そして最後に、私が最も注目している効用「他者の緩やかな排除」について書き記していきたい。 …

パワー概念としてのファルス(2)

前回の論述では、後半部分が私自身の精神的過程に関する記述になったので、今回はパワー概念としてのファルスの実益的効用を、以前メモっておいた「ファルス論理体系」を元に描いていきたい。 (1)において、ファルスへの問いは、私への実存的問いであると…

パワー概念としてのファルス(1)

様々な切り口からファルスについて論ずることは可能である。しかし、未だ体系化に至っていない未完成な論理構造の中で、ファルスについて何から手をつけていいのか分からない現状は、手さぐり的状態にならざるを得ない。 今回は「コミュニケーションにおける…

ウケる為の心構え STEP3

ウケる為の心構えの最後を飾るこのタームは、かなり難易度の高いものになります。それは、意識的に「周囲の笑いに対して敏感になる」ことです。つまり、電車内やレストランで会話をしている人達や、大学のサークルの友達が喋っている場面でも良いですが、そ…

世界は豊饒であった。

ゼミの一次募集に落選し、更に二次募集にも落選した私にとって、今日受けた三次募集は文字通り死活問題であった。そもそも、私の卑小な人生において、これまで挫折という挫折を経験したことがなかったが、大学三年になってやっとそれを味わった。 挫折と一口…

ウケる為の心構え STEP2

さて、もう一つ忘れてはならない、とても重要な心構えがあります。それは「第三者の視点で、状況を把握する」ことです。これは、俗に言う「神の視点」といわれているやつです。僕達は皆、自分自身の目で世界を見て、自分がこれまで形成したフィルターを通し…

ウケる為の心構え STEP1

まず、ユーモアセンスを磨く為の出発点は、「いかにして、笑いと向き合うか」を想起し、その姿勢を作り上げることにあります。この段階が、最も基礎的なことであり、かつ、最も重要なことなのです。 人を笑わせる為には、少なからず羞恥心を払拭しなければい…

私がはてなの議論に参加できない主な理由

私は常々はてなで織り成される議論に参加してみたいと思っていたのだが、最近どうもベクトルが違うのではないかと感じ始めてきた。というのも、例えば今のホットな議論と言えば児童ポルノの表現規制の話であろう。 私が何故そのような議論に参加できないのか…

今週のお題「睡眠時間」

睡眠時間とは、私にとって活動時間と同義である。というのも、私はほとんどの時間を睡眠に充てているし、夢の世界の私の方が現実の私より遥かに活動的であり、華々しいからである。大学生の私は、今春休みの期間なのだが、本当にただ寝て食って寝ての生活を…

カルト宗教団体 VS 俺 2

世界的なコメディアンになる予定です。この一言で私の勝利(自己の信念を他者に披瀝し、その論理的整合性を確かめ自己満足に浸ること)は確定していた。 何故なら、そう言い放った瞬間に、私にはその結論(i wanna be a comedian.)に至った説明責任が課せら…

カルト宗教団体 VS 俺

大学入学当初から、カルト宗教の勧誘に遭遇する機会に恵まれていた私は、再び今月初旬、駅前で怪しげなアンケートに答えていた。彼らの表向きは、就活を支援するスクール「HER-S(ハーツ)」という団体だった。 私には、これまで積み重ねてきた経験によって…

ニートは悪くない

ニートについての諸問題ですが、私は、現状を鑑みて、ニートの若者達が総じて悪いとは思っていません。 そもそも、ニートとは怠けたり甘えたり、「働く」意欲がないのではなく(まぁ完全に意欲のないウンコな人もいるかもしれませんが)、職場の人間関係に耐…

生きることは本質的に無意味であり無価値である。

私の死生観は、生きること、今私がこの世に存在していることは、徹頭徹尾、無意味であり、かつ無価値であるという一種虚無的な認識に依拠している。また、この認識を個から全体へ敷衍させて、森羅万象もみな総じて無意味かつ無価値であると私は考えている。 …

人を「いじる」こと

人をいじることは一種の刺激的な娯楽である。その娯楽を娯楽たらしめる為には、いじる側の良識、いじられる側への配慮が不可欠となる。それらの見識を有していない未成熟な人間は、無闇に人をいじってはならない。 良識を有さない利己的な人間は、人をいじる…