道化が見た世界

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パワー概念としてのファルス(2)

前回の論述では、後半部分が私自身の精神的過程に関する記述になったので、今回はパワー概念としてのファルスの実益的効用を、以前メモっておいた「ファルス論理体系」を元に描いていきたい。


(1)において、ファルスへの問いは、私への実存的問いであると述べたが、確かに両者は不可分であり、また、相互補完的である。そして、ファルス学の研究対象は主に3つの領域に分割することができる。1つは、私自身の精神的変遷の理性的記述、2つは、ファルスそれ自体に関する論理的記述、3つは、ファルスが社会・共同体に与える効用の分析である。今回詳述する分野は3の領域である。


・ファルスの実益的効用
「場の空間的席巻」――秩序形成、発言権の相対的強化、大衆の支持獲得、他者の緩やかな排除


ファルスの「力」としての本質的な作用とは、ファルスを有する人間と、それを享受する人間との間で起こる相互作用のことである。簡単に言ってしまえば、「ある人が、他の人(単体・複数でも可)を笑わせようと意図、志向し、それが実現した時に生じる調和」である。その調和は、紛れもなくファルスを介した調和であり、ファルス主体―享受主体の相互関係の中に成立するものである。


ファルス学が志向するファルス主体とは、それ相応の力、つまり共同体内において調和を調達することができる主体である。故に、その力を有していない人間は暗黙的に除外される。ファルスを有していないにも関わらず、それを行使しようとする人間が導く帰結は、独善的な行為主体としての堕落的地位の獲得でしかない。逆に言ってしまえば、ファルス主体は、常にそういった堕落的自己になる可能性を孕んでいる。故に、その可能性を常に自己点検でき、調整できる行為主体者が望ましい。


そして、ファルス学の意義は、その潜在的能力に無自覚である人間、あるいは自覚はあるものの、社会的諸悪条件によってファルスを行使できない人間へ道筋を示すことである。


この前提の元、結論を先に述べると、ファルスの実益的効用とは「場の空間的席巻」であると言うことができる。その具体的内容である、秩序形成、発言権の相対的強化、大衆の支持獲得といった項目は、あえて詳述しなくとも、理解でき得る範囲のことであるように思える。私がその効用として着目するのは、最後の項目である「他者の緩やかな排除」である。この効用は、ファルスとしての「力」が最も象徴的に表出する領域であり、ファルスとdisりの連関に繋がる論点である。その記述は、次回の考察に譲りたいと思う。