道化が見た世界

エンタメ・エッセイ・考察・思想

アユニ・Dと握手!

f:id:kent-0106:20210809033847j:image

某日某所、私はアユニ・Dと握手をする為に列に並んでいた。

 

アイドルと握手をするのはいつ振りだろうか、思いを巡らすと、それは私が中学二年生の頃だった。当時ガールズバンドのZONEのファンだった私は、友人と池袋サンシャインへ向かっていた。そこではZONEのニューアルバム発売記念と、新メンバー加入のイベントが行われ、アルバム購入者はメンバー全員と握手ができるというものだった。私は握手をする気恥ずかしさを強く持っていたが、その友人の熱意に押されて一緒に付いて行く運びとなった。

 

私はZONEの中でも特にベースを担当していたMAIKOのファンだった。何故MAIKOが好きだったのかと言えば、それは、私が幼少の頃に観ていたセーラームーンのキャラクターの中で、特に水星をモチーフにしたセーラーマーキュリーが好きであり、外見は短髪でボーイッシュで可愛い感じ、内面はおしとやかで優しい感じ、そのセーラーマーキュリーにZONEのMAIKOがソックリだったからである。

 

私が並んでいる列は徐々に進んで行き、ついにZONEと握手ができる時間が迫るにつれ、中学二年生の私の緊張もピークを迎え、いざ握手をする一歩前のポジションに着くと、

 

 

果たして僕なんかが握手していいんだろうか。

 

 

という根源的な問いが私の頭をもたげる。その問いに対する答えは無論、握手してよい、だってちゃんとアルバム買ってるから、なのだが、当時の私は中高一貫の男子校に通う、生粋のチェリーボーイであり、異性との会話ですら異世界のそれであり、あまつさえ、そんな異性との、かつ大いに恋慕と敬愛の念を捧げている対象に、ささやかな物理的接触を図るなぞ、想像を絶するに絶し、かかる心境におちいってしまうのもさもありなん、しようがないよドンマイドンマイなのである。

 

私のそんなチェリー的葛藤をよそに列は半ば強制的に流れ進み、横一列になってファンを待っているメンバーが目の前に見えた。まず私の目の前には、ドラムを担当しているMIZUHOが、こちらを見ながら莞爾と微笑み、その手を差し出していた。いいんですか?本当に。だいぶ前から手汗止まらないけど、拭いても拭いても止まらないけど、僕が本当にこれから握手していいんですか?私はあやふやな感情のまま恐る恐る手を伸ばした。そしてついに握手をした途端、

 

 

 

手やわらかっ!!

 

 

 

という衝撃に支配された私は、文字通り、稲妻に撃たれたが如く肉体と精神は激震し天空を舞い、私の両眼ははるか虚空を見つめ、MIZUHOに続く、新メンバーのTOMOKA、ボーカルのMIYU、そして最後に私の推しであるMAIKOとの握手の記憶がほとんど飛んでいた。特に、最後に握手をしたMAIKOとの記憶が、一番最後であるがゆえに一番飛んでいた。私はただ、MIZUHOの手がとても柔らかかった、という衝撃的な印象と感触と共に、その握手会を記憶している。

 

さて、今の私は無論、かかるチェリー中学生ではなく、三十路を迎えた大人である。私には己の心をしっかり持って、アユニ・Dと握手をすべき使命と責任がある。一人前の大人の男としてちゃんと握手をしたい、私はそう思った。

 

私がアユニ・Dのファンになったのは、YouTubeで、当時新曲だったプロミスザスターのMVをたまたま観た時に、めっちゃいい曲だなあと何回も聴いているうちに、明らかに可愛い子がいるなと思ったのがキッカケである。そして何より、テレビ番組に出演している時の彼女のぎこちないコミュニケーションの取り方に共感している私がいた。

 

一介の陰キャを自認している私は、例えば中学生の頃に、ファミマのレジ前にあるチキンがとても美味しそうで食べたかった。しかし、ホットスナックなので、一旦店員に「すみません、チキン一つください。」と伝えなければ買うことができない。私が発するその一言を、店員が聞こえなかったらどうしよう、迷惑そうに「え?なんですか?」と聞き返されたらどうしようなぞといった瑣末な問題を、心底重大な問題として捉え、羞恥心と恐怖心に支配されるような人間であった。

 

そんな自分との間に勝手に共通点を見出し、共感していたのである。私には、アユニ・Dが斯様な羞恥や恐怖といった暗い感情から逃げずに立ち向かっているように見えた。私も同じように頑張らなければと思った。

 

私は列に並びながら、アユニ・Dに一体どんな一言をかけようかと考えあぐねていた。無難に「応援しています、頑張ってください!」で良いのだろうか。一介の芸人として、そんな無難な一言で逃げてはいけない、と、もう一人のボクがそううそぶく。別にボクは構わないけど、それでキミは満足なの?アユニ・Dの笑顔、見たくないの?そんな誰でも言いそうな普通の一言で、逃げ隠れてるだけでしょう。どうせだったら、スベる可能性も羞恥も恐怖も全て飲み込んで一歩踏み込んで笑わせてみなよ!その一歩を踏み込むか踏み込まないか、それは一見些細な違いに見えるけど、雲泥の差なんだよ!ホラ!もう列も進んでるし時間ないよ!早く決めて!早よ!!もう一人のボクに決断を迫られたワタシは、全てを飲み込んでボケることを選んだ。

 

算段はこうだ。握手をする直前にまず私が「すみません、手汗がスゴくて、」とアユニ・Dに伝え、右手を思いっきり拭く。そして手汗を拭き終えたその右手を差し出すべきところで、即座に逆の左手を差し出すことによって、「いや、そっちかい!」というアユニ・Dのツッコミを誘発し、その場は急転直下の大団円、キャッキャウフフの一件落着とあいなりにけり。

 

私は覚悟を決めた。仮にこれでアユニ・Dの頭上に「???」が灯されたとしても、私は勇気を持ってその一歩を踏み込んだ自分自身を誇ってやりたい。私の心はこれからも、無難にやり過ごすのか、それとも、勇気を出して踏み込むのかの葛藤の中にこそ現れるであろう。しかし私は常にその一歩を踏み込む側の人間でありたいと思う。恐怖や羞恥や諦観の一切合切をも包み込んで、それでもなお勇気と覚悟を以って一歩を踏み込みたいと思う。なあ、それでいいんだろ?もう一人のボク、、

 

そして、ついに、握手をする一歩手前のポジションに私は着いた。仕切られたこの大きなパーテーションを右に迂回したその場所にアユニ・Dがいるのだ。私は一つ深呼吸をして、大きく一歩を踏み込んだ。

 

 

 

かわいっ!!

 

 

 

私はちょうど、自身がチェリー中学生の頃に感じたあの衝撃に、ちょうどあのやわらかっ!!に似た衝撃に支配されかけていた。文字通り、稲妻に撃たれたが如く私の肉体と精神は激震し天空を舞い、私の両眼ははるか虚空を見つめ、かけていた。留まれワタシ!!踏ん張れワタシ!!ここでワタシの魂が出張し、二つの眼がギュルンと虚空を見つめたなら、あの頃からなんの成長も進化も遂げていないじゃないか。それでいいのか??いいワケがない!!気を確かに持って、かつ、ボケろ!!気を確かに持ってボケるんだ!!

 

私はアユニ・Dを目の前にし、「すみません、手汗がスゴくて、」と言って右手を思いっきり拭いた。するとアユニ・Dは、「私も手汗スゴいから大丈夫だよ」と言って、右手を差し出して来てくれた。

 

私はこの後、自身のボケを完遂させる為に、本来であれば手汗を拭いていない逆の左手を差し出さねばならないが、この時、アユニ・Dは右手を差し出して来てくれており、かつ、左手にはサインをする為の黒マッキーが握られていた。

 

つまり、私がボケの左手を差し出してしまうと、アユニ・Dはわざわざ一旦差し出した右手を戻し、左手に持った黒マッキーを置いてから左手で対応せねばならなくなり、無論、そんな手間をおかけするワケにはいかない。必然的に、私の左手はアユニ・Dの右手と握手をするということになるが、それでは、アユニ・Dの右手のひらと私の左手の甲があたる形となってしまい、握手不成立となる。その結果、当然の帰結として、私は

 

 

 

普通に右手で握手をした。

 

 

 

結果として私は、普通に手汗のスゴイ中年男性で、普通に手を拭いて普通に握手をした人になった。しかし私は心底嬉しかった。何故ならば、私が踏み込んだ一歩は一見失敗したように見えたかもしれないが、私が「すみません、手汗がスゴくて、」と言わなければ、アユニ・Dの「私も手汗スゴいから大丈夫だよ」という奇跡のワンラリーは成立しなかったからである。

私は、いや〜可愛かったなあ、それにしても可愛かったなあ、なぞと無意識的に言葉をウレションのように漏れこぼしながら、帰り道をぼんやりと、しかし一歩一歩確かに歩み余韻に浸った。