道化が見た世界

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私とウンコについて(1)

 先日、小学校の同窓会があったのがきっかけなのだけど、小学生の頃を思い返してみて、印象的で、おそらく面白いであろう話が一つ見つかったので書いていきたいと思う。


 しかし、一つの問題がここに浮上する。日記のタイトルにもあるが、内容は「私とウンコについて」という、極めて下品な雰囲気が漂う、と言うよりもむしろストレート過ぎて清々しいレベルの下らない話である。故に、品行方正な紳士淑女の皆さんは、もしかしたら読まない方が良いかもしれない。

 
 本田少年は、幼少期の頃からウンコに造詣が深い子供だった。この前部屋を片付けていた時に、小4当時の配布プリントなるものが見つかったのだが、そのプリントの余白には所狭しと「ウンコぉぉ!!ウンコウンコッコぉぉ!!」といったような、ウンコ愛ひとしおな記述と、ウンコの絵が数多く散見された。


 そんな本田少年とウンコにまつわる衝撃的な事件―あるいは邂逅といっていいかもしれないが―は、本田少年が小学校1年生だった頃に遡る。


 当時の本田少年はかなりの神経質体質であり、たとえば、ランドセルに入れた教材の順序をキチンと教科別にしなければ気が済まなかったり(国語教材一式・算数教材一式など。たとえば算数のノートが国語教材の中に入り込むことは許されなかった)、遅刻して学校に行くことは恥ずべき愚行であり、それをするぐらいなら学校に行くべきでない、恥ずかしくて学校に行けない、と思っていたりした。


 その気質が災いしてか、本田少年は衝撃的なウンコ事件に身を投じてしまうこととなる。


 小学1年生の本田少年は、いつものように通学路を歩き学校に向かう途中であった。なんの変哲もない通学風景であったが、一つ、普段と違うことを挙げるとするならば、その時本田少年はウンコがしたかった。その便意に気付いた頃には既に通学路の半ばに差し掛かっていた。


 本田少年は一考した。ウンコをしたいが、ここで一旦家に帰ってウンコをすると、確実に学校に遅れてしまう。その様な恥ずべき愚行は絶対に許されない。しかしウンコはしたい。と。


 この「ウンコジレンマ」の解決策は、我慢して学校でウンコするという選択肢であったが、当時の小学生の支配的思想として、「学校でウンコするのは恥ずべきことである」というものがあった。もし万が一、学校でウンコをしたという事実が露見されれば、「ウンコマン」の汚名を生涯背負って生きなければならないという、拷問的苦痛が待ち構えていた。


 故に本田少年の頭の中には、「学校に遅刻」と同列に「学校でウンコ」も恥ずべき愚行であったのである。この「ウンコジレンマ」の当然の帰結として、本田少年はウンコを漏らした。


 皮肉な事に、本田少年は自分が忌避していた「ウンコマン」に文字通りなってしまったのである。お尻のあたりが心なしかモッコリしていたが、彼はその格好で学校に向かった。周りには数多の小学生諸君。そして、彼はそのまま自分のクラスに向かい、自分の席に着席した。


 何故だかは分からないが、不運にも、この時の彼の頭の中には「ウンコをトイレに流す」という至極真っ当な選択肢は存在していなかった。


 「ウンコこのままで大丈夫かな?」本田少年がそう呟くと、8:30を告げるチャイムが校内に鳴り響いた。