道化が見た世界

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こころは見えないけれど

先日電車に乗った時、奇遇にも席が空いていたので座っていたんだが、自分が乗った次の駅で腰がベンドしてるおばあちゃんが乗車してきた。僕は、その瞬間、そのおばあちゃんに席を譲ろうかと思ったが、断られたらどうしようと、誰もが経験する葛藤に、例によって例のごとく悩まされた。


その時、頭に流れたBGMが、あのACの「こころは、誰にも見えないけれど、こころづかいは、見える」というやつだ。あのCMの男子高校生と同じ境遇にいる僕は、「確かに、僕のこの心の葛藤は誰にも見えないが、席を譲るという心遣いは、見える!!」と一人奮起し、席を譲ろうと決心した。


が、時既に遅く、ドア側の近い席に座っていたアラサーのOLさんが、おばあちゃんに席を譲っていた。僕は、やるせない気持ちになって自分を責めた。「ACのBGM付きで後押しされても席を譲れない俺の消極性!」と、自分を責めた。


しかし、ふと、思った。よくよく考えてみると、あのACの男子高校生も、席を譲ろうとしたが、結局譲ることができなかったのだ。


僕は、セオリー通りの行動をしたに過ぎない。


そう、思った。だから今、僕は、歩道橋を渡ろうと苦労しているお年寄りが近くにいないか、僕の手助けが必要な人はいないか、ネクストチャンスを血眼になって捜しているのである。


「思いは、見えないけれど、思いやりは、誰にでも見える」