道化が見た世界

エンタメ・エッセイ・考察・思想

巨頭と絶壁

皆さん、自分の身長だったり、足のサイズだったりはすぐに答えられると思うんですけど、自分の頭のサイズが何センチかってすぐ答えられる人いますか?因みに、僕の頭のサイズは

 

 

61cm

 

 

あるんですけど、まあそう言われても全然ピンときませんよね。普通の人の平均的な頭のサイズは55〜57cmくらいらしいので、それと比べると僕の頭はだいぶ巨頭であることが分かると思います。

 

そして僕の身体的特徴である巨頭は、幼少期の頃に特に目立ち、というのも、まだ身体がちっちゃくふにゃふにゃなのに頭だけは大きくしっかりしているコントラストが働き、その光景を滑稽として見た家族に大いにイジられました。それ故に、幼少期の僕にとって巨頭であることは大きなコンプレックスの一つになっていたのです。

 

例えば、兄弟からは、エイリアン(プレデターとかと戦う方の)、E.T.宇宙戦艦ヤマトなど取り敢えずありとあらゆる細長いモノに形容されたり、ロングヘッドなどの横文字で攻められたり、そして極め付けは、(兄弟と同じクラスだった)学校の授業中に後ろから肩を叩かれ振り向くと、おもむろに三角定規を渡され、「これで頭の長さ測って!」なぞと嘲笑交じりにイジられ尽くされ倒されていました。性根が腐り散らかした、醜き心のなせる所業!僕は力無くそうつぶやき、やがて滂沱の涙を流しました。

 

そして当時、この兄弟間の巨頭イジりを、ママやパパは静観する姿勢を貫き、いや、なんならむしろ隙を見てはそれに加勢する姿勢、親子のジェネレーションを超えてのイジり波状攻撃もやむなしとする心意気、戦況は多勢に無勢、さらに悪いことには、僕のイジられ要素は巨頭であるということに限らず、もう一つの要素、シンプルに顔が猿に似ているという理由からチンパンと呼ばれていたこともあり、基本的には、ロングヘッド&チンパンスクラムで、イジりの業火をその一身に浴びていました。

そのなかでも、「脳味噌がいっぱい詰まってるってことだからね。賢くなるよ。」と、慰めてくれる方々もいらっしゃいましたが(そののち、慶応義塾大学に入学する脳味噌までに発達するが、それはまた別のお話)、それでも僕が巨頭であることを否定してくれている訳にはならず、やっぱり、デカイはデカイんだなどと、なんとも言えない気持ちになったりしました。

 

そんな家族間での戦々恐々としたイジりの応酬を体験した僕は、中学生になって他のクラスメイトも僕の頭の大きさや、顔がチンパンジーに似ていることをイジってきたりするのかと不安になりましたが、結論から申し上げますと、そのようなことをイジってくる人達は一人もいませんでした。開放的で風通しのよい、生きやすい世界!僕は叫びました。

 

と、そのような過去の思い出話を、最近になってママとしゃべっていたところ(31歳独身実家暮らし彼女なし、日々の楽しみはママとの雑談であるところの僕)、ママが「大きくなったねぇ」なぞと冗談めかしで付言しながら、僕の後頭部を軽く叩きました。

それに対して僕は、うるさいわと軽いツッコミを入れて、同じ様にママの後頭部を小さく叩きました。そして僕はその感触にギョッとしました。

 

 

めちゃくちゃ絶壁やん。

 

 

今の今まで明かされることがなかった衝撃の新事実、後頭部の毛量によってうまく隠蔽され続けてきたママの絶壁。頭頂部を少し行ききったところからストンと直角に落ちてゆく滑稽至極な頭蓋の造形。

 

 

どの頭で巨頭イジってくれてんねん。

 

 

あの頃、純真無垢の巨頭の僕の影に隠れ、多数派の中に紛れて僕にイジりの石を投げ続けていた絶壁のママ。うしろあたまたいらのママ。絶対そのポジショニングは違ったでしょう。まずは自分の頭の形を素直に受け入れ、打ち明けて、

 

 

共闘しろよ、

同じ頭のカタチ変族として。

 

 

共闘とまではいかなくとも、なんか親としてフォローの一言、添えられたんじゃないでしょうか。僕がママだったら、当時の傷付いていた僕にこう声を掛けていたはずです。

f:id:kent-0106:20210315015013j:plain

「けんちゃん、確かにあなたの頭は人より大きいかもしれない。でもほら、ママの後頭部を触ってごらんなさい。ね、ママはうしろあたまたいらなの。けんちゃんとは逆ね。人には色んな頭のカタチがあるから、そんなに気にすることない!それをバカにしてくる、しょうもない人達のコトバなんか聞かなくていいわ!!」

 

これこそが、頭のカタチ変族としての、あるべき美しき姿だったのだと思います。