道化が見た世界

エンタメ・エッセイ・考察・思想

ルーティーン化の三大要素

コロナ自粛期間中に自宅で何かをしようと思い、とりあえず英語を勉強し直しています。文法と単語、TOEICのアプリで問題集を解くという作業を継続的にしています。

そうしている中で僕自身が受験生だった時の頃を思い出しました。当時は多分、特に受験前の高校三年生の冬休み時期がピークだったと思いますが、1日8時間程度は集中して勉強していたと思います。

当時8時間集中して勉強できていた頃の自分と、今の自分(1〜2時間程度で集中力が切れる)を比較して、どうすれば継続的にタスクをこなしルーティーン化、習慣化させることができるか、という本質的な問いに対して体系的な答えを示したいと思います。

 

1.タスクが自己の欲望に根差していること

遂行するタスクが自己の欲望に根差していることは、そのモチベーションを維持し、継続させる為のエンジンであり、それが無い場合は、遂行にあたり大なり小なりの苦痛を常に感じていなければならないでしょう。

僕が英語を学びたいと欲するその根源的な欲望は、シンプルに英語をカッコイイと思っており、エミネムが好きであり、英語を喋っている自分をカッコイイと思うからであり、海外の人達と難なくコミュニケーションをとりたいと欲しているからです。

更に加えて言えば、僕は帰国子女の身であり、標準的な日本人よりも英語能力に長けており、他者と比べてスタート地点で既にアドバンテージがある為、その能力を更に伸ばすことによって他者と自己の差別化を図り、価値を見出し、優越したいという欲望があります。

金髪美女と会話してお付き合いしたい、や、洋楽をカッコよく歌ってモテたいなどといった自己の欲望に根差した具体的なイメージを継続的に想像できるか否かによって、その遂行力の強弱が別れるでしょう。そのイメージが沢山あればあるほど、より強固な推進力となるでしょう。

そして客観的な実用性よりも主観的な感情を大切にすることも肝要だと思います。例えば僕は大学で第二外国語を履修するに際して、何語を選ぼうか悩んでいたんですが、当時中国語とスペイン語がその言語を利用する人口が多いという点で人気でした。しかし、僕はなんか発音がカッコイイという理由でドイツ語を選びました。

これはある種の結果論ですが、もし仮に僕が言語の利用人口が多いという客観的な有用性から中国語かスペイン語を履修していたとしたら、それを継続して学習し続けようというモチベーションは低かったでしょう。

何故ならそれは外部から仮託された事実でしかなく、自分の内から湧き出る欲望ではないからです。ドイツ語の発音がカッコイイ、そのカッコイイ言語を喋りたいと欲する単純で等身大な欲望こそ、タスクを継続へと導くエンジンになると考えています。

 

2.集中力の維持・強化

集中力の維持・強化こそ、タスクを継続的にこなし習慣化させることができる最も大切な力でしょう。何を当たり前のことを振りかぶって言っているのだと思われるかもしれませんが、集中力とはある種、筋力に近いものであると考えています。受験生当時の僕は1日8時間(要所で休憩は挟みますが)集中して勉強することができましたが、今の僕は頑張っても1時間〜2時間で集中力が切れてしまいます。

筋トレを初めた当初、例えば腕立て伏せを最初の頃は10回が限界だったけれど、継続的に筋トレを重ねていくことによって日に日に20回、30回と回数を増やすことができたように、集中力も継続的に鍛えていくことによって、1時間であったものが2〜3時間、ゆくゆくは8時間へと成長していくと考えています。

集中力と筋力は同じような力であり、つまり集中力肥大化も継続的努力によって可能なのです。だから現在の僕は、しぼんで弱ってしまった集中力を現役当時の集中力へ戻す為にも徐々に強化させていかなければいけません。

そして、その集中力を強化する為に最も必要なことは、ディストラクション(気を散らすもの)の排除に他なりません。

では、そのディストラクションの最たる物はなんでしょう。皆さんお分かりように、携帯電話ですね。極言すれば、携帯電話と決別できるかどうかに全てがかかっていると言ってもよいです。携帯電話は全ての行動を遂行する上で必要な集中力に対するディストラクションになり得ます。今や映画館という空間が稀有に感じてしまうのは、映画館が半ば強制的に一つの物事へ集中させる装置として機能しているからに他なりません。だから、映画館で映画を観ている時ですら携帯が気になってしまうという方は、集中力の獲得にかなり苦労すると思います。

僕が受験生だった頃にも携帯はありましたが、今のようにアプリも充実していなかったですし、ましてLINEなどの便利なコミュニケーションツールもありませんでした。現代の受験生の大半は、携帯との決別に一層の苦労を要すると思います。特にリア充高校生などは、恋愛というディストラクションもあるので、ほぼ集中力が育ちません。

意中の人からの連絡が遅い、あるいは既読無視されている、嫌われているのではないか、何か変なことを言ってしまったか、といった疑心暗鬼な問答で堂々巡りとなり、頭の中のメモリは意中の人でキャパオーバーしており、勉強が全く手につかない。タスクを継続的に遂行し習慣化することができない。

そういった意味で、僕が当時置かれていた状況、携帯電話が今ほど発達しておらず、かつ、中高男子校という特殊な環境に属していたという要素は、大学に合格するという目標を達成する上でこの上ない盤石な土台になっていたのでしょう。

また、携帯電話恋愛というディストラクションの他に、音楽を聴いて勉強するという方法も集中力を欠く要素になり得ます。ここが筋トレとは違う点で、筋トレはテンションが上がる音楽をかけながらやったほうが相乗的にヤル気が出ますが、勉強、目下の言語学習においては、無音でやることをオススメします。

 

3.スケジューリングの徹底

まず1日の睡眠時間、食事・お風呂の時間などを差し引いて、フリーに使える時間はどれくらいあるかを把握して、その中で何時間は英語の勉強にあてる、何時間は筋トレの時間にあてる、などのスケジューリングが大切です。

一定のスケジューリングをしなければ、弛緩した時間が無為に過ぎてゆき、たとえ集中してタスクをこなした時間があったとしても、それを把握していなければ、客観的にそれが強化され維持されてきているかの経過を判断することもできません。

1日の終わりに、主に就寝前に明日のスケジュールを把握しておくと、今日何をすればいいんだっけと迷うこともないのでオススメです。さらに1日何時間こなすという枠組みを決めていれば、タスク遂行途中でディストラクションに惑わされることも少なくなります。

1日のスケジューリングは勿論ですが、大局的なスケジューリングを定めるのも大切だと思います。例えば英語学習で言えば、何月のTOEICテストを受験すると決めて、逆算的に小さなスケジュールを立てるといった具合です。

スケジュールに沿って、1日を機械的に過ごすということはまさに習慣化、ルーティーン化の入り口であり、無為に1日を過ごして流れ去っていった時間に価値を見出すこと(価値をみすみす取りこぼしていたという自覚)もできますし、自分の時間には価値があるという認識、そしてその認識からタスクに優先順位を付けて、取捨選択をして、決断することができるようになります(例えば、いつもなんとなく参加していた飲み会に費やす時間とお金、英語の勉強に費やす時間を天秤に掛け、どちらに価値があるかを鑑み判断し、結果、飲み会を断って英語の勉強をする、あるいは、飲み会に参加すると英語の勉強の時間がなくなってしまうので飲み会を断る)。