道化が見た世界

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鬼滅の乙女

ある日私は、友人との待ち合わせ時間までに余裕があったので、仕方無くゲームセンターで時間を潰すことにした。種々のクレーンゲームを見て周りながら、早く時間が過ぎないかと少なからず悶々としていた。

 

すると、一人の小柄な黒髪の乙女が小走りで私の前を横切って行った。私は少しばかり驚いて、何をそんなに急いで行くところがあるのだろうか、ここはゲームセンターだのにと怪訝に思い、その乙女へ一瞥をくれると、彼女はある一つのクレーンゲームの前に確固たる意志を宿しながら対峙している様に見えた。

 

その乙女の眼前には、鬼滅の刃の竈門炭治郎の小さなぬいぐるみがぶら下がっていた。おそらく彼女は、私が時間を潰す為にこのゲームセンターに訪れる前からずっとあの竈門炭治郎を手に入れる為に奮闘しており、しかしなかなか取ることが出来ず、とうとう財布の中の100円玉も底をついてしまい、新たに100円玉を手にする為に両替機まで走り、そして、その間に誰かに取られてしまう危険性を考慮し、また走って戻ってきたのだろうと思った。

 

彼女の一見清楚で物静かそうな外見と、何としても取りたいという感情のこもった視線のちぐはぐさに私は心を打たれた。ありていに言ってしまえば胸キュンした。なんとしても竈門炭治郎を手に入れて欲しいと思った。

 

しかし、彼女が100円玉を入れども入れども、無情にも竈門炭治郎にクレーンのアームは届かない。厳密に言えば、届いてはいるけれども、アームの力が貧弱過ぎて炭治郎を毫も揺らすことが出来ずにいた。

 

負け戦であることは一目瞭然、しかし彼女の眼からヒノカミ神楽の火(日)は消えていない。小さな財布を手に取り、もう100円を投入するか否かのささやかな葛藤、しかしそれは彼女の中では最も重大な決断になるかのような重々しさがあり、そのいじらしさに私は心を打たれた。ありていに言ってしまえば胸キュンした。

 

可能であるならば、私の胸中をあえてさらけ出すならば、私が取ってあげたかった。しかしそれはできなかった。何故ならシンプルに気持ち悪いからである。そして、万が一にも、その気持ち悪さを乗り越えて、私が代わりに取りますと声を掛けたとしても、あの竈門炭治郎を取れない恐怖の方がそれを上回った。それほどまでにクレーンのアームは貧弱だった。

 

思い返すと、彼女の少し後ろにたたずんでいた中年の男性従業員。アナタしか、あの鬼滅の乙女を救うことは出来なかったのかもしれない。アナタが、かかる状況にいた彼女を見兼ねて手を差し伸べて、「もう、あとチョンてやれば落ちますんで」と竈門炭治郎を移動させるべきだったのかもしれない。

 

願わくば、鬼滅の乙女のもとに竈門炭治郎があらんことを。