道化が見た世界

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ヨガサークル入門

いまからする話は私が大学生の頃の話である。私は当初、慶應義塾大学(単に大学と明記すればよいにも関わらず、あえて慶應と言うのは、自分の学歴をひけらかしたいがためである)のダンスサークルに所属していたが、あまりにもリア充過ぎる集団であったために、中高男子校出身の私の適性には合わず、およそ一年ほどでそのサークルを後にした。


どのサークルにも属さない、無所属となった私は焦燥感に駆られていた。何故なら、大学という空間は流動的であり、サークルという固定的な共同体に属さなければ一人孤独感にさいなまれ、非リア充化を免れることはできないからである。


私はリア充になりたかった。なるほど確かにダンスサークルでのリア充化という可能性は断たれたかもしれないが、私はどんな手段を使ってでも、泥臭く這い上がってでも、自身のリア充化という悲願を成し遂げたかった。


女子にチヤホヤされたい。


私の魂がそう叫ぶ。私はなりふり構わず入学当日にもらったサークル一覧の冊子を開き、チヤホヤチヤホヤと呪文の様に唱えながら一心不乱にページをめくり続けた。女子率高し女子率高し、私のそのつぶやきは一つのページの前で止まった。


ヨガサークル


その黄金の文字列を見るにつけ、ここしかない、ここが私の求めていた唯一の桃源郷であるということを悟るに至った。私は早速、そこに書かれていた代表のメールアドレスにメッセージを送り、体験でヨガりたいです、可及的速やかにヨガりたいですという旨を伝えた。


私は不安と緊張に加え、この下心満載の行動は果たして人間として倫理的に正しいのかといったいくばくかの背徳感を胸に秘め、しかし、リア充になる為には通らねばならぬ道だ、なりふり構わず行動するのみと自らを納得させヨガをする体育館へと向かった。この一歩がリア充への道となる、私はそうつぶやき体育館の扉を開いた。


そこは見渡す限りの花園であった。正面を見ても女子、右を向いても左を向いても女子、後ろを向いても右斜め前を向いても左斜めを向いても全方位的に女子しかいない。


私は歓喜した。私が求めていた空間が、眼前に広がっていたからである。私は自身がリア充になれることを確信した。やはり、人のあるべき姿とは、第三者の目線や、周囲の罵詈雑言などには聞く耳を持たず、自らの信ずべき道をただひたすらに、無批判かつ実直に突き進めば良いのだと。道徳や倫理感を超越したところにしか存在し得ない境地に、私は達したのだと。


しかし気付いた頃には、私は言葉が出なくなっていた。これは感極まって言葉が出なくなったというたぐいのものではない。あまりにも女子が多過ぎて、その圧倒的数に精神的に失禁し、ただの筋金入りのシャイボーイに成り下がっていたのである。意味が無い。皆目意味が無い。リア充になる為にここまでの行動力を見せたのにも関わらず、その圧倒的数の女子を見るにつけ何もしゃべれなくなってしまったのである。私の信念はいとも容易く崩れ落ちた。


女子とのコミュニケーションは全くなくともヨガのレッスンは進んだ。私を全方位的に取り囲む女子達と共にヨガのレッスンが始まった。ぶっちゃけこれだけでも幸せではあった。彼女達は私が純度100%の下心で入会してきた男子であるともつゆ知らず、少なからず、え?と怪訝な顔を浮かべていた女子は差し当たりシカトし、みな総じて真面目にヨガをしている。ふと、私のよこしまな情念は、彼女達の美しい身体と精神によって浄化されてゆくような気がした。


ヨガのレッスンも佳境に向かい、ヨガの先生が、次は肩甲骨を伸ばしますと言ってエジプトのスフィンクスの様な格好をした。肩甲骨を伸ばす為にかなり前のめりになったスフィンクスのようで、お尻を後方に突き出す形をとった。


私は先生に言われた通りに、まずスフィンクスのように四つん這いになり、そのあと前傾姿勢をとってからお尻を突き出し前を向いた。前を向いた途端、私は絶句した。



そこにはお尻があった。



私の前でヨガをしていた女子の圧倒的おしりが、圧倒的近さで、圧倒的なエロさで私の前に突き出されて現れたのである。ヨガをする時の服装というのは、上はTシャツのようなラフなものだが、下はわりとピッチリとした、身体にフィットした、つまり、身体の曲線が露わになるものである。ありていに言ってしまえばピチピチである。


つまり、そのピチピチの状態のおしりが私の眼前に圧倒的近さと圧倒的エロさで現れ、その、おしり付近の、なんというか、その、曲線の一つ一つというか、その、クッキリ鮮明に、あの、お茶を濁すようであれだが、つまり、その、デリケートゾーンが、ウェルカム状態だったのである。


私は確かに、自身のリア充な生活を思い描き、そのヨガサークルに入門した。女子との交流こそがリア充な生活を送る上で不可欠であると確信していたからこそ、女子率が高いヨガサークルに入る決意をしたのである。その過程でサークルの女子と仲良くなり、友達になり、飲みに誘い、青春を感じさせるランデブーなりなんなりのエロティシズムを期待していたとしても、その少年に罪はあるまい。下心満載の少年の心は決して咎められるべきではない。


しかし。しかしである。その私の前に存在する圧倒的おしりは、圧倒的近さとエロさで存在するそのおしりは、私の下心を超越したところに存在するものであった。あまりにもクッキリと鮮明に、絶対的に存在するそのおしりを前にして私は思わず笑ってしまったのである。


かかる圧倒的おしりと、圧倒的シャイさを見せつけられ、見せつけた私は、ヨガサークルにていとしては入ったものの、その後数回ほど参加したのちに、やはり圧倒的過ぎると思い至り幽霊部員化し、結局ヨガサークルを去ることになった。


私は結局のところ、リア充生活を勝ち取ることができずに終わったが、私があの桃源郷で見た桃尻は、私の脳裏から離れることは無い。