道化が見た世界

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男女のおごるおごらない問題

男女のおごるおごらない問題、割り勘にするのか、はたまた全額男が支払うべきなのかという、もはや男女間の古典的問題と化しているこの命題は、令和になった現代でも喧々諤々の論争を巻き起こしていたり、いなかったりする。

 

この難題を論ずる前に、私自身の立場をクリスタルクリアにしておくと、私はできることなら相手に

 

 

 

全額おごってもらいたい

 

 

 

と思っている。しかし、実際のところは、かかる願望を隠しながらも社会が要請するジェンダーロールに窮屈にも対応しようとする慎ましい三十路のオジサンである。つまり、本心としてはおごりたくないが、それだと"男として"ダサいからおごるのである。

 

私のように声を大にしてそう言う人がいないだけで、ここの村、おごりたくないけどおごる村の男住人はかなりの人口がいると思うし、さらに、おごってもらいたいとまではいかずとも、割り勘がいいと考える男性諸賢は大いにいるだろう。この村に住む住人は、男のプライドとしておごりたい、おごることによって自分の虚栄心を満たしているタイプの男性の価値観が理解できない。確かに、おごった時は刹那的な気持ち良さみたいなものはあるが、別にそこまで無理して感じたいような気持ち良さでもない。

 

そして、この村の住人が辿る空虚なフローチャートは、誰々と飲みに行きたいという欲求の発生→しかしおごらねばならぬという葛藤→割り勘の打診はダサいので黙殺→予定作りがうやむやになり流れる→1人家でNetflix である。ここでの可能性としての不運は、1組の男女が互いに興味を示し、もっと時間と空間を共有したいと思っているにも関わらず、それが実現しない可能性である。例えば、女性側が全然割り勘でよいと考えているにも関わらず、男性側がそれを与せずに、自身の与えられたジェンダーロール(「男がおごるべき」という社会的要請)に押し潰されてしまい、互いの願望が結実しないパターンなどである。

 

ここで、何を大袈裟な、そんなに魅力的な異性だと思っているのであればお前が飲み代の一つや二つ出してやればよいだろう、それが出せないと言うのであれば、そこまで魅力に感じてないのだろうから会わずに勝手に家に篭って一人でNetflixでも観ていろという反論があり得るが、その反論はまさにジェンダーロールに囚われた優等生的回答で、1組の男女が互いに一定の興味を示しているのであれば、答えは明々白々のイーブン、win-winの関係性、つまり割り勘でよいのだ。

 

女性側も女性側で、急進派のおごらない男マジでダサい論者から、穏健派の割り勘で全然良い論者、ごく少数派ながら、なんなら貢がせて欲しい論者までグラデーションはあるが、やはり、割り勘の場合はどうしても、「私っておごられないほど魅力のない女なの?」という疑念は少なからず残ってしまうだろう。それほどまでにジェンダーロールの社会的要請は私達の思考様式に染み付いてしまっている。

 

これまで男女のジェンダーロールに焦点を当ててきたが、男女のおごるおごらない問題の中には更に複合的な社会的要因が存在しているように思われる。分かり易く箇条書きにすると、

これまで話してきた

①男女のジェンダーロール的要因

に加えて、

②年齢的要因

③経済的要因

④当事者間の心理的距離感

 

かかる諸要因が、更にこの問題を複雑化させているように思われる。例えば、自分が女性であったとしても、②年齢的要因によって、つまり自分の方が相手より幾分か年上だった場合、どちらが会計を負担するのか悩ましいところではある。前述した、おごることによってプライドを潤すタイプの男性は③経済的要因においてプラスな人種であり、それ(お金を沢山稼いで使う)が彼自身の男性性に直結している人種に多いと思われる。

 

ここで一番窮屈な人種は、①において男性であり、②において年上であり、③においてマイナス(貧乏)であり、④において心理的距離が遠い存在であるということになる。ありていに言ってしまえば、お金が無く、さらにそれをできるだけ使いたくないと考える年上の男性は恋愛市場で淘汰される前にそもそも参入することができないということになってしまう。

 

ここまで何か長ったらしく書いてきたのに結論が身も蓋も無さすぎて泣けてくるが、私が言いたいのはそういうことではない。一人の男と、一人の女が、純然たる願望によって時間と空間を共有したいと望んだのに、それが複合的な社会的要因によって消失してしまうことはなんとも悲しいことなのかということである。社会的要因に汲み取られずに成立する希望ある男女の関係性を、私達は相互のコミュニケーションで構築してゆかねばならないはずだ。

 

例えば、一人の年上の男性が女性をデートに誘い、共に飲み交わしている。その男性は実は薄給ブラック企業勤務の純朴なサラリーマンなのだが、彼女に対してはそんなことおくびにも出さず、目の前の会話に花を咲かそうと躍起になっている。躍起になりながらもどこか頭の片隅の割と端のほうで、会計の時を思案してしまっている。

 

彼女が思いのほか酒豪だった、自分よりお酒を飲むペースが倍以上速く、こんなことなら飲み放題にしておけばよかった、しかしもう後戻りは出来ない、飲めば飲むほど会計が高くなっていく、自分のお酒はちびちび飲もう、しかし酔っている彼女の少し赤らんだ顔を見ると頬がゆるむ。

 

そしていざ会計の時、その金額に彼は愕然とする。楽しい一時ではあったけれど、そしてその楽しさが全て帳消しになることはないけれど、後に尾を引く金額ではある。本当は割り勘がよい。しかし彼はおごらねばならない。何故なら彼は男性で、さらにその彼女よりも年上だから。ここで割り勘でよいか打診するのは社会的にご法度であるから。男としてダサいから。彼女にも失礼だから。

 

小汚い二つ折りの財布から諭吉を数枚つまみ取ろうとしたその時、彼女が彼の肩をトンと叩く。え、悪いから私も出すよ。彼女はバッグから財布を取り出そうとしているし、しかし、取り出そうとしているモーションだけ見せているかもしれない。男はいやいやいや、大丈夫だよと彼女を一旦制する。いつものやつだ。このあとえっ、ありがとうご馳走様のやつだ。いや、全然それで良い。その言葉を言ってくれるだけでもありがたい。言わない人もいるこのご時世。ただどこかでその感謝の言葉の前にもう1ラリーを期待してしまっている。

 

いや、ホントに払うよ楽しかったし私も。彼女はそう言った。どうやらこれはモーションだけではないようだ、本当に割り勘でいいと思っているのだ彼女は。なんて良い子なんだろう。えっほんとじゃ割り勘でいい?と吐き出したくなる気持ちを抑えて、まだだと自分を制する。まだその言葉を言ってはいけない。まだそれが彼女の本音とも限らないのだから、そう思って、いやいや、本当に大丈夫だよ、俺から誘ったわけだし、と、もう一度彼女を制する彼にはまだ、分かったじゃあ今日は俺が払うから今度おごってよという次の予定を暗に示唆する定石の文句を言えるほどの蛮勇さが無かった。すると一息置いて彼女が言った。

 

いや、本当に今日楽しくてさ、また会いたいなって単純に私思ったんだよね。それでやっぱり会計の時って気遣ってもらってるっていうか、こんなこと言っちゃ失礼になっちゃうかもだけど、変な負担になりたくないなって思って。男の人が出さないといけないみたいな風習あるけど、それで次会いたいのに変な負担になって会えなくなる方が嫌だから。だから割り勘にしよ!って言うか今日私と飲んで楽しかった〜?

 

 

 

こんな女いねぇ!!!

 

 

 

こんなに理解を示してくれる女性はいませんね。なんか自分で書いててちょっと泣きそうになりました、色んな意味で。なんかすみません。よく分からないけれど、なんかすみません。ただ、最後に、私が言いたいことは、社会的諸要因に汲み取られずに「割り勘がいいです」と男性側からなんの臆面も無く打診できる、それが社会的に見てもダサくなく、女性に対しても失礼に当たらない、窮屈ではなく開放的な、風通しのよい社会がいつか実現してほしいということです。

 

 

 

ただ、ラブホ代は男が出しましょう。

 

 

 

ホテル代割り勘は流石にダサいから。