道化が見た世界

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鳳城礼央といふ男

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鳳城 礼央(ほうじょう れお)といふ男を、読者諸賢はご存知だろうか。鳳城礼央は、club Hatch MEVIUSというホストクラブに存在する希有なホストである。ホスト歴八年強、齢三十を数える彼と、−その実力に雲泥の差はあれど−僕はほぼ同じホスト歴であり、また同い年である。新宿歌舞伎町には二百店舗近いホストクラブがあると言われているが、僕は彼がその中でも最も面白く魅力的なホストであると信じて疑わない。

 

この世にイケメンかつ面白い人間など、そう容易く存在してはならない。というか存在しないで欲しい。そもそも、世界の平等を考えるならば、イケメンは概してつまらなくなければならない。逆に、面白い人間は概してイケメンであってはならない。何故なら不平等であるからだ。

 

そして幸か不幸か、その例に漏れず、現実的にイケメンとは概してつまらない。何故ならイケメンという先天的な才能に恵まれた人間は、面白くなるという後天的な努力をせずともモテる、つまり、他者から承認されるからである。先天的な才能に恵まれなかった人間は、かかる人種に嫉妬めいた劣等を感じながらも彼らに追いつけ追い越せと後天的な努力に勤しんだり勤しまなかったりする。

 

もう読者諸賢もお分りだろうが、そこから導き出される一つの帰結は、鳳城礼央はこの世に存在してはならない。何故なら彼は先天的才能にも恵まれ、尚且つ、(する必要も無かった)後天的努力も怠らなかった無双過ぎる存在だからである。

 

そして彼がイケメンであることは自他共に認める事実であるのでひとまず置いておくとして、僕がこの場で特に言及したいのは、その彼の面白さである。

ホストという職業をしている人間は、周知の事実として、良くも悪くも

 

 

 

ナルシスト

 

 

 

であり、ありていに言ってしまえば、自分達の事をカッコイイと信じて疑わない集団である。そしてその当然の帰結として、自分が会話の中でイジられてけなされたり、その場の笑いの道具として使われる事をひどく嫌う。ナルシストとしてのプライドが余計に傷付くからである。

その場に笑いを供給する為に一般的なホストがなし得るコミュニケーションは、イジりやすい後輩なりを見つけて、自分はあくまでイジられない安全地帯に留まりながら磐石に攻め続けることであろう。

ひるがえって、鳳城礼央、この男である。無論彼はイケメンかつナルシストであることに違いはないのだが、他のホストと違う大きな点が一点ある。それは、彼が筋金入りのナルシストであるにも関わらず、何故か

 

 

 

ピエロになれる

 

 

 

ことである。安全地帯から抜け出し、自ら率先して変なことをして周囲を笑わせ、時に奇声を発し、イジられの弾丸を心地良く迎えながら、嬉々として会話空間を踊り舞うのである。言うなれば彼にはピエロとしてのプライドがある。僕はこれまでの人生の中で彼ほどのイケメンがピエロっているシチュエーションに出くわした試しがないし、おそらくこれからもないであろう。彼と一緒に卓に着く時、常にワクワクしている自分がいる事に気付く。互いにピエロになっている時の解放感や、そこで得られる享楽は筆舌に尽くしがたい。僕はそんな彼を敬愛してやまない。

 

僕は彼、鳳城礼央を一ホストとして、また、一友人として、尊敬し愛おしく思っている。これからもアジア一の繁華街歌舞伎町で唯一無二のイケメンピエロとして舞い続け、踊り狂い続けてほしいと切に願っている。お誕生日おめでとう。