道化が見た世界

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陰キャとお酒

お酒、アルコールにまつわるトピックは、往々にして、飲酒運転や、飲酒の強要、他人に絡んだ末に暴行・傷害、そういったネガティブな側面にスポットが当てられる。確かに、かかる犯罪やハラスメントに加担する人種はお酒を飲むべきではないし、そういった人種のせいで、お酒=ネガティブなものという印象を抱くのもしようがない話ではある。

 

しかし、お酒にネガティブな側面があるのと同様にして、ポジティブな側面があることも、読者諸賢には見逃してほしくない。今回私は、そのポジティブな側面に光を当てていきたいと思っている。何故なら、私はお酒のおかげでこの世の中を自由闊達に生きれそうだと希望を見出している人間のうちの一人だからである。

 

なにを大仰なことを、アルコール依存症なのかお前はと思われるかもしれないが、その判断は各自に任せるとして(弁解するとマジでそうだと思われるのが嫌なのだが依存症ではない)、ここで一つ、お酒とは何か、その効用は何か、端的に言い表すと、それは

 

 

陰キャ陽キャにする薬

 

 

であるとひとまず結論付けることができるだろう。お酒は一時的にではあるが陰キャの人間を陽キャにすることができる薬であり、それこそがお酒の効用である。それでは、ここで言う陰キャとは何か。陰キャとは、心が繊細な人間の総称である。

陰キャはコミュ障といった属性と結ばれがちだが、彼らが対人コミュニケーションに一定の障害を感ずるのは、彼らが過度に繊細な感受性を有しているからであり、自己の一挙手一投足が他者の精神の機微にどのように作用するか、逐一自己・他者監視していなければ精神的に安心できない人種なのである。例えば、本来であれば、何も考えておらずその場にそぐわない失礼な言動を他者にしてしまう人種もコミュ障の括りに入れるべきで、何故なら彼自身がコミュニケーションに一定の障害を感じていないだけで実際にそれは存在しているので(つまり繊細ではなく過度に鈍感な感受性がゆえに)、陰キャ=コミュ障と断罪するのは早計である。

 

それでは続いて、ここで言う陽キャとは何か。陽キャとは、心が適度に鈍感な人間の総称である。陽キャは良い意味でその感受性が適度に鈍感であり、他者の心の機微をそこまで読まずともコミュニケーションが可能であり、快活で自信に溢れた人種である。彼らには線引きがない。これ(例えば、ある程度踏み込んだ内容)を伝えたいけど、伝えたら相手が引いてしまうかもしれない、嫌われるかもしれない、傷付けてしまうかもしれない、怒ってしまうかもしれない等の葛藤が、苦悩が、その一線がない。厳密にはあるが、それを苦労せずにまたいで行き来できる存在である。そしてそれをまたいで失敗したとしてもさほど傷付かず、あるいは(無意識的に獲得した)過去の成功体験から自信を持って踏み込むか、失敗したとしても嫌われることもない愛嬌を持っている。

 

ひるがえって陰キャはそうはいかない。その一線をおいそれとまたぐことができない。陰キャは常にその踏み込むか否かの葛藤の中にこそ生きる。何故か。繊細だから。狂おしいほどまでに繊細だから。このままでは陰キャは一生陽キャのようになることができない。眼前には静かに絶望が横たわっている。何故陽キャには容易くできることが自分にはできないのか。これが自分自身の人間性の限界なのか。、ポンポン。ふと後ろから肩を叩く音が聞こえる。振り返るとそこにはお酒君がいる。え、な何ですか急に、陰キャが答える。僕を飲みなよ、お酒が耳元でそう囁く。そう、僕を飲んで、

 

 

僕を飲んで陽キャになりなよ。

 

 

お酒の甘い囁きに頷いた陰キャは指示通りにお酒を飲む。するとどうだろう。今までクッキリと輪郭を持っていた一線がぼやけておぼろげになり、やがて霧消した。そこには今まで抱いていた葛藤やそれに付随する苦悩もない。眼前は開け、なんら障害もなくただただ邁進することができる。なんと自由で闊達なことか。楽しくて仕方がない。コミュニケーションが楽しい。陽キャの見ている世界はこんなにも享楽的なのであろうか。そこには何もない。本来であれば抱いていたであろう羞恥心も、恐怖心も、劣等感も。ただそこにあるのは全能に裏打ちされた自由のみ。フリーダム、イズ、ヒア。

 

お酒は陰キャにかかる効用をもたらすことのできる薬であると、私は思っている。その薬を飲むことによって、過度に繊細であった感受性を適度に鈍磨させることができるのだと考えている。適度に繊細かつ適度に鈍感の黄金比率、センシティブに空気を読みつつも、適所で踏み込むことのできるコミュニケーターへと変貌を遂げる可能性が、夢が、ロマンがそこにはある。しかし、その容量、つまり、自分がどれ位飲酒すればそのステージに到達することができるかは自分で手探りで探すしかない。かなり感覚的な話になるが、酔い度合いを1から10で表すとしたら、その全能フリーダムタイムは6〜8ぐらいの酔い度合いの時に到達することができると考えている。〜5だとまだまだ酔い始めでほろ酔いくらいで到達できず、9〜10だと飲み過ぎで行き過ぎてしまう。過不足のない、自分のゴールデンタイムを探し当てるにはトライアンドエラーを繰り返すしかないだろう。

 

そしてさらに夢のない話になってしまうが、そもそもお酒が身体に合わない、飲んでもすぐ頭が痛くなってしまう、すぐ寝てしまう、飲めるけどそこまでテンションも上がらないし、全能フリーダムタイム?何を言っているんだ?と怪訝な表情を浮かべる人種も多いと思われる。私はそんな彼らを背負って、選ばれし陰キャというひどく独善的なアイデンティティを勝手に確立させ、陽キャと熾烈な戦いに身を投じる所存である。