道化が見た世界

エンタメ・エッセイ・考察・思想

ファルス的大学回想録(2)

かくかくしかじかで私が天啓を授かったところまで話したが、私はその使命を悟った感動のあまり、「この感動を可及的速やかにみんなに伝えたい」というある種の派生した使命感を重ねて宿した。


抽象的な言い回しになるが、その時の私の認識として、自己と他者(みんな)の距離感は完全に一致していた。自己は他者であり、他者は自己であった。私は、私が知覚した天啓とそれに伴う感動の質感を言葉で伝えれば、他者もそれを同様に感ずると思っていたのである。人はこれを狂気と呼ぶ。


しかし、それが狂気だろうがなんだろうが、私はそのお陰でなんびとも抑制することができないほどのハイテンションを手に入れていた。水野敬也氏の共著『ウケる技術』によれば、ハイテンションであること、氏の言うところの「ガイジン化」は、人を笑わせる為の原初的な戦略の一つなのである。私はそれを狂気によって既に獲得していた。マイ・ステージは既に整っていた。


更にそれに拍車をかけたのが、中高一貫の男子校という名のプリズンには存在しなかった、大学という名のエデンで戯れる女性の存在であった。私は、普通に(厳密には普通ではないが)女性と喋っている自分を、マイ俯瞰カメラで見ながら、「あれ?俺普通にしゃべっとるぞ、しかも笑わせとるぞ!」と全面的にキャッキャした。


私は原則的に女性としかしゃべらなかった。ウェルカムパーティーの時も14名とメルアドを交換したが、うち13名は女性だった。また、入学式前に必要教材を貰いに大学へ行った際には、一人で物憂げそうにしている乙女達に発作的に話しかけ続け、「あっちの食堂に女の子(ウェルパで知り合った方々である)いっぱい居るから来ない?」などと言って、雪だるま式にマイ・ハーレム環境は広がってゆく様相を呈していた。


そしてある時、その食堂に、魅惑的な八重歯を見せながら微笑む乙女が私の目に入った。その乙女は友達と昼食をとっているようだったが、私は彼女の隣の席にささっと座るや否や、「はじめまして、学部どこですか?えっ、文学部?オレ法学部ー!」なぞと喋り出した。


その会話のさわりを聞いただけでは、そこらへんに生息する凡百のチャラ男と遜色無いかもしれないが、冒頭でも述べたように、私は、己の使命を語る者であった。初対面だろうがなんだろうが、いかなる状況に置かれてもまず真っ先に己の使命を起承転結で語る者であった。私が女性に率先してしゃべりにゆくのは、チャラいからとかいう皮相な動機なぞではなく、使命をその内に宿していたからである。


八重歯の乙女は怪訝そうに笑いながら、私のメルアド交換の申し出に対して「でも彼氏いるから…」と、拒否の意思表示を見せようとした刹那、



「俺とその彼氏、どっちがカッコイイ?」(ドヤ顔スマイル)



私は即レスのカウンターでそう切り返していた。信じられないけれど、気付いたらそう切り返していた。狂気だったからという予防線では回収しきれないほどの過ちを、私は犯していたかも知れない、という自己内省はそこらへんにポイするとしても、彼女は「いや…、私は彼氏のがカッコイイと思う」と穏便にも真っ当な返答をし、私たちはフォーエバー的に別れた。彼女はのちに、2008年度の準ミス慶應に選ばれることになる可憐な乙女であった。


そして、またある時、食堂で乙女四人が昼食をとっていたのだが、その内の一人に、ウェルパで知り合った乙女がいた。彼女達は一様に携帯画面を見ながら会話をしていなかった。今思えば、みんなで写真を見たり、mixi見てたりしてんだろうなと容易に察しがつくかもしれないが、当時の私には、その光景が「何をしゃべればいいか分からなくて気まずい空間」に見えた。


「じゃあ、誰が盛り上げるの?」内なる声が私にささやく。「誰が、あの空間を笑いで盛り上げることができるんだろう?」その声は続けてそう反響する。「あの空間を、盛り上げなければならない人間が、いるんじゃない?それは誰?」



「俺でしょう!!!」



私はその空間を破壊し、ウェルパで知り合った乙女にダル絡みをした後に、残りの三名の乙女の怪訝を飛び越えた引きの目線に撃ち抜かれても屈せず(ここが重要である)、最終的にその乙女のマイミクから外されるという言外のメッセージをいただいて落ち着いた。


とにかく、当時の私は、自分の内に宿った使命の生命力に包み込まれていた。その生命力が躍動し暴走した結果、人様に迷惑をかける始末になってしまったかもしれないが、あの時の私の快活で自由なコミュニケーションは、確固たる信念を後ろ盾に、羞恥も恐怖も不安も全て取っ払っていた。そこに今、少なからずの羨望を見る。