道化が見た世界

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「面白い文章」考察/教材「ウケる日記」

前回の記事で言及した通り、今回は水野敬也氏のブログ「ウケる日記」を教材として、いかに「面白い文章」を書くことができるのか、考察してゆきたいと思います。本考察において、同氏が実際に(考察通りに)意図して書いたかという事実はそこまで重要ではありません。本考察の目的は、「面白い文章」を書く為のエッセンスを抽出することにあります。


今回は、「ウケる日記」の二つ目の記事「ゴッホの耳切り事件」(http://ameblo.jp/mizunokeiya/entry-10794478413.html)を教材として扱い、適宜引用していきたいと思います。引用する際の改行は省略する場合があります。それでは早速始めましょう。

前回のブログのエントリーが「オナニー事件」でしたので「こいつ、下ネタ以外書けねえんじゃねえの?」と思った方も大勢いらっしゃると思いますので今回はもっと高尚な話といいますか、「ゴッホの耳切り事件」を取り上げていきたいと思います。


水野敬也氏は、「オナニー事件」というセンセーショナルな記事で衝撃的なアメブロデビューを飾ります。しかし、そのあまりの内容の濃さから後日アメーバ側から当該記事を削除されてしまいます。


ゴッホの耳切り事件」は、初記事である「オナニー事件」と対極に位置する「高尚な話」であることを、水野氏は前もって宣言しています。自身の振り幅の大きさ(下品な話も、高尚な話もできる)をアピールしている様に見えますが、これは、後に見てゆきますが、最後のオチを演出する為の完全な前フリとして機能します。


そして肝心の記事内容というと、当時貧しかったゴッホは「共同生活をすることで生活は楽になるし、芸術文化も向上する」という志のもと、ゴーギャンと共同生活をしていたんですが、ある日ゴッホゴーギャンと喧嘩をして、自分の耳を切り落としてしまう、と。それが「ゴッホの耳切り事件」の概要です。


で、なんでそんな喧嘩をしてしまったのか、という真相が、水野氏が国立新美術館の「ゴッホ展」に行った時に発覚する訳です。同氏はそれを、「図によるビジュアル化+フォント強調」という合わせ技を駆使することによって、際立たせます。

この間取りは揉めるわ。


(この脱力系ゆるふわ図・文字もポイントが高いです。)
確かに、記事タイトルが「ゴッホの耳切り事件」であることを察すれば、これでオチたな、と言えなくもないんですが、このパフォーマンスの深層には、更なるオチがある訳です。冒頭で述べた「高尚な話」のパッケージを覆す、小気味良いオチが最後に待ち受けます。


ただ、そんなことはどうでもよくて


この間取りから察するに、






ゴッホゴーギャンにオナニー見られたんじゃないかな。


見てください。この清々しい裏切り。
このラストセンテンスを言いたいが為に、この記事を書いたと言ってもいいぐらいです。「高尚な話」をすると冒頭で宣誓しながらも、最後には矢張りオナニーに落ち着く潔さ。「私はあくまでも下品サイドにいるよ。オナニーだよ。」という徹底したスタンス。「ゴッホの耳切り事件」に真のタイトルを付けてくださいと言われれば、間違いなく「オナニー事件2」になるでしょう。因みに、この「裏切り」は、


【ウケる技術No.24】 裏切り
「相手に次の行動を読ませておいて、その逆を言う」


という同氏の共著「ウケる技術」に収録されているものなのです。つまり、水野氏は自ら編み出した技術を自ら実践していたのです。ファルス的区分で言えば、アドリブのコミュニケーションで用いる技術、speaking領域のスキルを、ブログというwriting領域で応用したと換言できるでしょう。いやはや、アッパレ。


オマケに、というのもなんですが、水野敬也氏は所謂「ウマい事を言う」言語センスに長けています。「ゴッホの耳切り事件」の該当部分は「正直、ゴッは相当アですよ。」というところでしょう。この韻踏みは、「ウケる日記」の至る所で散見されますので、是非探してみましょう。但し、speakingで韻踏みすると、若干サブい空気になるので注意が必要です。