道化が見た世界

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多勢に無勢の状況で勝つ方法

おそらく世渡りがある程度上手な方々は、自分が多勢に加担することはあっても、無勢の役回りを甘受することは、まずないだろう。


あるいは、良識ある人々は、そのような不毛な争いごとを嫌い、「あらあら、うふふ」と静観しているに違いない。


わたくしの本日の提言は、かの様な社会からはじき出された、同情に値しうる役回りを担っていかねばならない人達への、ささやかな救済である。


自分の主張が、仲間内の大多数と食い違い、総スカンを食らうときがある。「お前なにいってんの?」「頭大丈夫?うん?」など四方八方から総disされるその光景は、まさに四面楚歌である。


人というは脆いもので、自分の主張が正しいと思っていても、自分より多数(1:2の状態からでも)の人間が否定すると、「え、あれ?俺間違ってた?」と弱腰になってしまうのである。


しかし、マジョリティが常に正しいとは限らない。数を担保に虚勢を張ってくるマジョリティ諸君に負けないぐらいのメンタリティが必要である。


まあ数が多ければ強いというのは事実で、低レベルな罵りでも、それを場の空気が肯定してしまうのである。そしてその空気を醸成しているのはまがうことなきマジョリティ諸君なのである。


低レベルな罵りが更なる罵りを呼び、標的にされた人間が付け入る隙は皆無に等しい。挫けていじけるのが関の山だ。


ここが分岐点である。虐げられ続けた者よ、外を見よ。大海を見よ。そして声高に叫ぶのである。「お前らがおかしいんだよ…みんなもそう思うよな!!」と。


マジョリティの空間から飛びてて、まだ見ぬ外世界の人々を味方に付けるのである。こうすれば、多勢に無勢の形勢も逆転し、自らがマジョリティへと変貌する。


外世界の人々と面識はなくて構わない。むしろそっちの方が好都合なので、あとは適当にひとりごちて、「だよな、俺もそう思ってたよ。コイツらなんも解ってねえ」「言っても解らぬ馬鹿ばかり」と外世界の人と交信しているように振る舞おう。


この「切り換え」こそ、マイノリティ諸君を救う秘技である。
そして秘技とは、往々にして、狂気と紙一重である。