道化が見た世界

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殺意の遺書

Aは、古き良き時代の友であったBの自室に入り、立ちつくした。
Bの自室の机上には彼が遺したとみられる遺書が、ただポツネンと置いてあった。
その部屋には既にBの姿は無く、遺書の包みに書かれた「遺書 竹馬の友A君へ」という文字だけが残されていた。


Aは恐る恐るそれを手に取り、包みを開け、旧来からの親友であるBの遺書を読み始めた。


「A君、キミがこれを読んでいるということは、もう僕はこの世にいないか、いるかのギリギリのラインかもしれない。つまり、まだ、いるかもしれないのだ。


だから、この遺書を読んでいるのなら、今すぐに僕の携帯に電話をかけてほしい。キミの一声の励ましで、僕はこの世から去ることを思いとどまるかもしれないのだから。


鳴ったかい?僕の携帯が、僕の机の引き出し上から二番目から鳴っただろう。着信音はキミが大嫌いだと言っていた「般若心経」にしておいた。新宿西口で喜捨を求めるお坊さんに「キミもワシと共に解脱しよう」と迫られて追いかけられたトラウマ的思い出が蘇えったかい?あれは傑作だったよ。


キミの偽善的で陳腐な慰めで、僕が自ら決めた死を覆すはずがないじゃないか。キミは、僕を助ける一心で、ただならぬ勢いで、電話をかけてくれたと思うけど、僕はキミのそういうところが一番嫌いなんだ。


僕達は、幼い頃からずっと、傍目から見れば仲良く付き合ってきたし、実際も、仲は良かったよね。でも、僕はキミのことを友達として、同等の人間であると思ったことは、一瞬たりとも無かったんだ。ほんの一瞬たりとも、ね。


僕が学校のクラスで一番最初にキミに話しかけたのは、何故だと思う?すぐに分かったんだ。一番しゃべりやすそうな奴だって。だって、下等だから。自分より下等だから、キミに対する人間的配慮もいらなかったんだよ。


嬉しかったでしょ?あのクラスの喧騒の中、ただ一人寡黙に、居心地が悪そうにしていたキミに、僕が話し掛けた時。誰も下等なキミなんかに話しかけようとも思わない、そんな中、僕がキミを救ってあげたんだ。


僕とキミが、周囲に親友だよねって言われていたのは、勿論お互いが分かり合っていた訳でもなく、ただひとえに、僕の力によってだったんだよ。普通の人はさ、キミみたいな人種を見つけると、イジメかイジリの対象にしかできないんだ。


でも、僕の場合は違う。僕には見えてるんだ。キミの精神の振り幅を。下等種として僕がキミを扱っていることを、キミが自覚したら、流石に僕達の距離は離れて行ったかもしれない。でも僕は、キミがそう感じる前に優しさを見せたよね。


そして、意外に思うかもしれないけど、その優しさは偽りでもないんだ。僕はキミがどう感じるか理解できるし、それに寄り添うことができる。それが僕の力だし、キミと僕が分かり合えたのも全部、僕がいたからだったんだ。周囲が親友だよね、って認識していたことが、その証拠だよ。


不思議に思うかもしれない。じゃあなんで、僕が下等で無価値なキミと付き合っていたのかって。僕がキミと友達として接していた本当の理由。それは、自分の力を確認するためと、僕の力を称揚して礼賛するキミを見たかったからなんだ。


そしてそこで、僕は決定的に絶望したんだ。キミは僕の力を称揚も礼賛もせず、本当に純朴に「お互いが分かり合えている」って思っていたんだから。キミのそのおめでたい、絶望的な馬鹿さ加減に、僕は殺意すら覚えたよ。


でもね、その後すぐ思ったんだ。A君は下等だから仕方が無い、って。結局キミは、その下等世界の視座から抜け出せずに、そのまま死んでゆくんだよ。僕の高尚な力にも気付かずにね。


あの時、僕がキミに話しかけなかったら、キミは碌に友達もできず、イジメの標的にされて、暗澹たる生活を送っていたのかもしれないよ?今のキミに他の友達ができたのだって、全部僕のお陰だったんだよ。


それなのにキミは、それを自分の力だと勘違いして、過信して、絶望的に馬鹿な言動を繰り返したよね。その時、思ったんだ。下等な人間は、こっちの人間が譲歩すればするほど、身の程をわきまえずつけ上がるって。


僕が死ぬのは、A君。他の誰でもない、キミのせいだよ。キミはもう、僕の他に友達もいるし、それなりに幸せな日常を過ごせるかもしれない。でも、僕はそれを価値ある高尚なものとしてみなさない。僕はあの世で、キミが享受して喜びに浸っている小市民的幸福を、未来永劫あざけり笑ってやるからな。」

Aがその遺書を読み終えるや否や、なんびとかが背後から彼の肩をポンと叩いた。