道化が見た世界

エンタメ・エッセイ・考察・思想

謹賀新年、吐瀉まみれ

読者諸賢には、お酒を飲んでゲロを吐いた経験があるだろうか。

ゲロを吐くという言葉は汚く、品がないので、かといってそれをカタカナでリバースと言ってもカッコつけすぎな感じもするので、ここでは間をとって吐瀉る(としゃる)と換言したい。ゲロとは吐瀉物であり、吐瀉の「瀉」は、新潟の「潟」とほぼ一緒であり、ゲロではなく吐瀉と漢字で表現することによって、カジュアルではなく一見フォーマルな感じ、人間としての最低限度の尊厳を保っていたいという願望も込められている。

 

かく言う私は、八年間ホストをしていたので、一般人の累計吐瀉回数に比べればはるかに多くの吐瀉を経験しており、他者が吐瀉るのも横目で数多く見たし、帰宅途中の歌舞伎町のストリートでは吐瀉ってから幾分か時間が経過したであろう匿名の吐瀉もそこかしこに、まあとにかく、私にとって吐瀉はありふれた光景だった。

 

しかし、去年の三月頃、コロナが流行し始めたあたりから、私はホストを辞めて、その結果お酒を飲む機会が全くなくなり、必然的に吐瀉との関わりも一切なくなった。私自身、お酒を飲むと、全能感に支配され一見世界がクリアに見える享楽があるので、アルコール中毒者の潜在的可能性もなきにしもあらずだったが、家で一人で居る時に飲もうという気にはあまりならなかった。

 

そんなある日、新年の二〇二一年、元旦の夜、久し振りに家でお酒を飲んだ。徐々に熱を帯びて赤らむ顔の温度に懐かしさを感じながら、現役を退いたベテラン選手が気恥ずかしさ混じりの笑みをたたえてボールを握る様さながら、私はグラスを手に取りお酒を流し込んで眠りについた。

 

ふと、頭痛と吐き気と共に目覚めた深夜三時。吐瀉るか吐瀉らないかの絶妙なさじ加減、その感覚をお酒の空白期間によってとうに忘れてしまっていた私は、自らの口元に逆流してくる吐瀉への反応を、恐らくすんでの差で見誤っていた。

 

私はトイレに向かって自分の部屋から激走した。しかし、その道中、リビングルームで抑えがたい勢いで逆流してくる吐瀉をその刹那に感じ取り、取り返しのつかない事になってしまうと思考する私をまさにその吐瀉が追い越して、齢三十、新年早々、

 

 

 

リビングルームで吐瀉るに至る

 

 

 

さらに加えて、自室からの激走の勢いを保った私の身体は、慣性の法則をその身にまとい、そのまま進行方向前方の、

 

 

 

己の吐瀉に滑り、転倒するに至る

 

 

 

転倒によってようやく止まることのできた暴走列車、吐瀉まみれの私の大転倒の轟音は、そのすぐ下の階で寝ていたママの耳にすぐさま留まった。のっぴきならない何事かが起きたと察したママの「誰?!」と叫ぶ声に共振して、次第に大きくなる階段を駆け登る足音に、私は、

 

 

 

もうダメだ

 

 

 

と諦観し、強打した腰を押さえながら、大量のトイレットペーパーを巻きに巻き、自分の飛び出した臓物を動転して掻き集めるかのように、吐瀉まみれの身体で、己のぶちまけた吐瀉を拭き続け、今にも消え入るような力無き声で、すいません、すいません、吐いちゃいましたすいません、と呪詛のように唱え続けた私のしぼみきった背中は、一度開き、そして、再び静かにそっと閉まる戸の音を聞き逃しはしなかった。