道化が見た世界

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隣の席の女の子は自分のこと好きになる説

僕は中高男子校で育ったので、小学生の時以外は隣の席に女の子はいなかったんですが(大学生時代にも女の子はいたが、クラスと言う固定的な空間はあまりなく流動的だったのでカウントしない)、だから、僕の中の乏しい経験で講釈を垂れるのはわりと憚れるんですが、そこでふと感じたことは、

 
 
隣の席の女の子、気付いたら俺のこと好きになってる
 
 
この一点の確信に尽きます。僕と席が隣になった女の子は気が付いたら僕のことを好きになっていて、一年に4回か5回ほど席替えをした覚えがありますが、そのことあるごとの席替えで僕の隣の席に座ることとなった女の子4~5人は総じてそれぞれ僕のことを好きになっていたという確信があり、僕の中ではそれが当たり前のこと過ぎるあまり、
 
 
小学校あるあるのうちの一つ
 
 
としてカウントしていたふしがあります。これは僕個人の個別具体的な事象(僕があまりにも魅力的な人間なので、それを間近で見ている異性が無意識的に惹かれていってしまう)というよりは、ある程度一般化が可能な事象であると考えていて、それ故に今回タイトルを「~~説」と銘打っている訳であります。
 
何故一般化できるかと言うと、そもそも、固定的な空間でほぼほぼ毎日顔を合わすという状況は学生時代特有で限定的なもので、小中高の12年間以外ではなかなか経験することのできない特殊な状況であるということが言えると思います。
 
クラスという形態ですら固定的で継続的なわけですから、さらにその空間内において最も近い存在者(隣の席の女の子)は誰よりも自分と濃密に時間と空間を共有することになります。
 
よくある心理学的な話で、何回も同じ人と出会うとその人を意識しはじめるというのがあって、だからどんどん会うようにしましょうということなんですが、その状況を極言すれば、まさに隣の席の女の子ということになるでしょう。より長い時間、お互いに時間と空間を共有することは、関係を深めるために、人を好きになるために、非常に重要なファクターであると言えます。
 
そして、小学生時代、隣の席の女の子を絶対的に魅了し続けてきた僕から皆さんに、告白したいことが一つあります。
 
僕は当時、隣の席の女の子の心を射抜くプロフェッショナルとして無意識的に天狗になっていたきらいがあり、席替えの時に自分の隣の席を「マイハニー・プレミアムシート」として勝手に認知していたきらいもあり、そうやすやす誰にでも僕の隣に座らせることはできないと大上段からクラスを睥睨しておりました。
 
そして迫りくる席替えの時、まずは女子がクラスから出され、クラス内には男子のみが残り自分の席を決めます。これは誰がどこに座っているかを女子に特定されないためであり、完全にアトランダムで席を決めるというシステムでありました。
 
そして、その席は既に予約済み(誰が座るかは分からないが、その席には男子の誰かが座ることが分かる)であることを女子に知らせるために、男子生徒はみなそれぞれ自分の手荷物(筆箱、てさげ袋、etc)をその席のどこかしかにセットするというプロセスがありました。
 
このプロセスに欠陥があることは誰の目にも明らかであり、というのも、その手荷物が誰のかを女子が判別できさえすれば、その席にどの男子が座るのかというのは事前に把握できてしまうからです。
 
当時の僕はこのプロセスの欠陥にいち早く気付き、そう簡単に俺の隣には座らせまいとする天狗心が躍りに躍り、結果として、てさげ袋をいわばフェイク(いわば釣り餌)として用い(実際にてさげ袋がかかった席には違う男子が座る)、僕の本当の席はMONO消しゴムを机の上に置いた席となりました。そして、一旦男子がクラスから出され、女子がクラスに入りそれぞれの席を決めます。
 
 
いざ!!選別の時!!!
 
 
そう心の中で叫び、先生の「それでは男子のみんなも入ってきてください、女子はそのまま席に座っていて大丈夫です」という言葉と共に僕はクラス内をゆっくり睥睨しました。
 
そこで僕は愕然とします。僕のフェイクてさげ席の隣に、僕がかねてから恋慕の念を抱いていた女の子が座っていたのです。その女の子は目を輝かせながら口パクで隣の席を指さし、「ここ?」と僕に向かって伝えてきたのです。
 
 
そこじゃないィ!!本体は別にあるゥ!!!
 
 
僕はそこで、自分の犯した大きな過ちに気付きました。自分が尊大に振る舞ったせいで、フェイクてさげなぞという訳の分からない障害物を設置したせいで、本来獲得できた幸せをも無に帰してしまった。そして僕は、もしも自分が天狗にならなければ実現できた彼女と隣の席どうしの幸福な生活に思いを馳せていました。
 
 
 
あの子、絶対僕の女になってのに!!!(血の涙を流しながら)