道化が見た世界

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【男子校廃止論】

僕は都内の中高一貫の男子校に通っていた一学生だが、ここで一つ物申したいことがある。


男子校制度を即刻廃止しなさい


これから、僕がそう主張する訳を理路整然と述べてゆくから、現在男子校に通っている男子諸君はすべからくメモを取り、新学期が始まったらすぐに、学校側に直訴するべきだろう。それから、男子校の教師諸君、もしかしたら貴方達とは分かり合えない立ち位置に僕はいるかもしれないけど、僕はあくまで、男子校に通う男子諸君の精神的支柱になるために、理論や思想(そんな大仰なものでもないが)を提供し、戦うつもりでいる。


さて、何故僕が男子校の廃止を訴えるか、それは男子校が「女性とのコミュニケーションに障害をきたす環境」であるからだ。僕自身、異性との交流の多寡は、かなり部分で人生の充足に直結すると考えている人間だし、これはなにも、僕自身の独善的な考え方でもない。


男子校に通っていると、同性同士のコミュニケーションに終始せざるを得ないし、異性の目線を意識しなくても良いし、楽ではある。が、その楽さが代償とするものは途轍もなく大きい。その楽さに浸っていると、たとえば女性と会話する時、自分では普通だと思っているコミュニケーションも、相手には異常と捉えられて引かれてしまったり、何をしゃべればいいのか分からず、あたふたしてしまうだろう。


そもそも、中学校・高校というのは、「青春の舞台」である。その青春の舞台に、なんで異性がいないのか。冷静に考えなくともおかしい事態である。僕のような、セピア色の空虚な青春を過ごす男子は、もうこの世にいらないはずだ。この悲しみの連鎖は必ず喰い止めなくてはならない。


たとえば、席替えの時。共学であれば、誰彼と隣になること、気になっている子と隣になることに、ワクワクドキドキすることだろう。それは一つのイベントとして、一つのエンターテイメントの装置として機能しているのである。ところがひるがえって、男子校の席替えを見てみよ。誰が隣になろうと、そんなことどうでもいいのである。そんなことよりも、実利的な部分、「後ろの方が先生に早弁(昼前に弁当を食べる)気付かれない」とか、そんな空虚で無機質的な要素が、席を選ぶプライオリティーになっちゃったりしているのだ。


そして、学園祭の準備時。一大イベントとして、男子と女子は互いに協力し、日が暮れるまで作業をしながら嬉々として語り合い、渋谷の東急ハンズなぞに買い出しに行ったりする、あの、『耳をすませば』的青春謳歌の情景が、僕の脳裏には浮かんでくる。ところがひるがえって、男子校を見てみよ。みな黙々と作業をしているではないか。その過程で青春色が一向に滲み出ない学園祭ほど、空虚なものはないだろう。


現在男子校に通っている高校生諸君は、いずれ大学という未知の世界に旅立つことになるが、その新天地での価値基準は、良く言われている、あの、リア充」か「非リア充」かの二者択一である。異性との交流に恵まれている人間は即「リア充」の価値を付与される(あるいは烙印を押される)ように、薔薇色のキャンパスライフを送りたいならば、やはり、「異性とのコミュニケーション能力」は最重要の力であり、馬鹿に出来ないものなのである。


しかし、悲しい事に、大学には「男子校男子」の対極に位置する「共学男子」の存在がある。彼らは強い。男子校男子にとっては手も足もでない強敵にさえ写るかもしれない。何故なら、彼らは何の違和感もなく女性とコミュニケーションが出来るからである。それは、彼らが育った環境が、当たり前のように異性が存在する「共学」だからである。彼らは無意識的に女性を誉めて喜ばせたり、時にからかいながらも優しさを見せたりと、「一緒にいて楽しい」という、「男子校男子」にとっての越えがたいハードルを、既に越えている。


大学で「共学男子」が「リア充」のパイを総取りしているのを、ただ指をくわえながら眺めている、そのポジションに、果たしてキミたちは甘んじていいのだろうか。そう、駄目に決まっているのである。僕が後輩達(全国の男子校に通う男子諸君)に伝えたいことは、「共学男子」という強敵に勝って、人生を謳歌する「リア充」になってほしいということである。その為には、男子校を廃止せねばならない。


男子校の中でこの世界が完結していればいいが、現実はそうではない。かかる意味で言えば、男子校の環境とは、外界(異性)から遮断され密閉された、無菌室的な箱庭である。更に言ってしまえば「非リア充養成所」である。非リア充を養成しても、社会のなんのプラスにもならない。どうせ養成するならリア充を養成しなさい。このままでは、中高セピア色は当たり前の如く、大学もセピア色になりかねん。ということで、すぐさまの男子校廃止は無理だろうから、漸進的に共学レベルまでもってゆく解決案を何個か提示したい。



(1)定例行事「女子高と合コン」
二カ月に一回ぐらいのスパンで、運営側が「女子高との合コンをセッティングする」というもので、ゆくゆくは定例行事としての定着を試みる。この行事があれば、本来、席替えで得られるはずの「ワクワクドキドキ感」を味わうことができるだろう。男子校男子諸君はそれぞれ、「今日あの子としゃべれるかな」、「メルアド交換できるかな」などといった浮ついた思いを馳せることが可能となる。


(2)授業見学
課外授業として、女子高の授業を見学するものである。ここで男子校男子諸君は、女性がいかに生きているかという「女性の生態」を学ぶ。たとえば、難しい問題を女子が解けず、教師から責められている状況が生じた場合、「代わりに僕が解きます!」と声高に宣言し、実際に解くことで、女子からの評価はうなぎ登りに上昇するだろう(「助けられた」+「頭良い」)。学校に帰ってからは、「あの子はこういうことをしていた」などといったクラス全体でのフィードバックはかかせない。そうすることで、より女性の生態を知ることができるのである。


(3)昼御飯Together
昼飯を女子と一緒に食べることで、共に親近感を感じながら趣味や部活などの話をするのがよろしい。天気が良ければ、ピクニック気分で外で食べるのもいいだろう。ここでウマく距離感を接近させることに成功し、「今度、手作りのご飯食べたいな」などと進言する勇気があれば、彼のコミュニケーション能力は「リア充」の域に達していると断言できるだろう。


(4)掃除Together
ここは男子の腕の見せ所である。雑巾掛けをメチャ速くかつ的確にするなど、力強く掃除するさまを演出することによって、女子に「この人は男らしいし、かつ、家庭的だわ」と思わせることができ、ポイントが高い。また、机や椅子を移動させる時などに「いや、重いっしょ?俺持つよ。」などと多少キザっぽく優しさをアピールするなど、多様なアプローチの仕方があるので、是非学んでほしい。


さて、以上のように色々と挙げたが、総括すると、男子校の運営側には、男子校男子を将来「非リア充」にさせないためにも、男子女子が時空間を共有する機会をできるだけ多く設けてもらいたく、また、男子校男子諸君には、ことの実情を把握し、それを運営側に訴えてほしいと思っている。たとえば、生徒会長に立候補し、そう訴えることで、先生方からの同意・承認を得ることはなかなかに難しいが、そこには、生徒側からの地響きにも似た称賛の声と、全方位的なスタンディングオベーションが待っている。