道化が見た世界

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ヴァンパイアのメンヘラ学

一時期、海外のヴァンパイア映画(タイトルは『トワイライト』だったと思う)が流行って巷のジャパニーズ乙女達が総じて胸キュンする現象が巻き起こった。見た目は筋骨隆々の白人の長身イケメンだがどこか雰囲気はアンニュイで、そんな彼が実はヴァンパイアであり、愛する女性の血を吸わなければ生きることができず、そんな彼と女性は恋に落ちてしまう。

 

ヴァンパイアの彼としては血を吸ったら牙も出すし自分の正体もバレちゃうし、好きな人の血を吸わないと生きていけないけど、吸ったら吸ったで彼女を傷付けてしまうし、殺してしまうかもしれないという葛藤に苦悶し、彼女も彼女で彼を生かす為に自分の血を吸わせてあげたい気持ちもあれど、吸わせたら吸わせたで自分死んじゃうかもだしという葛藤があり、さてどうする、という大まかなストーリーだった気がする。記憶が曖昧になってしまっているが、そこはご了承いただきたい。

 

さて、今回私が考察したいのは、何故そのヴァンパイア映画が大いなる胸キュン現象を巻き起こすに至ったのかということなのだが、結論から言ってしまうと、それは、ヴァンパイアという存在が、

 

 

究極的な愛を体現している

 

 

からであり、さらに換言すれば、

 

 

究極的なメンヘラを体現している

 

 

からである。これは一体どういうことなのか。順を追って説明するにはまず、そもそも愛とは何かという、最も壮大かつ深淵な、ロマンに満ちたテーマを語らねばならず、私なぞの青二才にはいささか荷が重すぎるので、ここでは便宜的に愛とは何かの定義付けをしたい。愛とは何か。それは一人の特定の存在と、その他大勢の他者とを区別し、前者を特権的地位に置く行為である。

 

一人の女性を愛するという行為は、それ以外の女性と交流することを無論よしとしないし、彼女を全ての優先順位の頂点に置き、彼女を誰よりも理解し、安心させ、誰よりも喜ばせ、楽しませ、可能な限りの力を注ぎ与えることである。

 

そして、この定義における愛の反意語は、平等である。愛と平等は両立し得ない。前述したように、愛とは特定の他者を特権的地位に置く行為であり、ひるがえって、平等は、全他者を区別・差別なく等しく見なす行為だからである。つまり、その両方が合わさった博愛(愛+平等)という思想は、それ自体が矛盾をはらんだものなのである。(博愛主義の矛盾については下記の記事を参照してほしい。)

 

さて、ヴァンパイアは究極の愛を体現していると述べたが、何が究極なのであろう。それは、ヴァンパイアの、愛する者の血を飲まなければ「死んでしまう」という性質に秘められている。貴女の血、つまり貴女という存在がいなくなってしまえば、彼は死んでしまうのである。

 

たまに人間のカップルが冗談交じりに、会えなくて辛い〜死んじゃう〜なぞと戯れているが、ヴァンパイアは冗談とかではなくガチで死ぬのである。あるいは、人間側もガチに、もういい死ぬ、他の子と遊んでたの知ってるから、死んでやる死ぬ死ぬと言う機会もあるかもしれないが、私達ヴァンパイアはそんなことすら言う間もなくガチで死ぬのである。

 

ヴァンパイア自身の死という絶対的かつ決定的なピリオドによって、貴女の存在は誰も辿り着くことのできない唯一無二なものへと昇華され、絶対不可侵の聖域へ達することになる。

 

それはある意味で、というかシンプルに、究極的に重い。例えばそれは、今何処にいるの、誰といるの、何してるの、いつ帰ってくるの、よりも重い。例えばそれは、既読じゃん、返事まだ?、通話しよ?よりも重い。それは、俺以外の男としゃべらないで、俺以外の男としゃべって笑わないで、よりも重い。それは、俺以外の男の連絡先全部消してよ、ブロックして削除してよ、ブロックだけしててもあとで解除できるから、ちゃんと削除までして見てるから、よりも重い。それは、俺以外の人間に会わないでよ、お互い信頼し合ってるならあのGPSのアプリダウンロードして逐一お互いが何処にいるのか把握し合おうよ、よりも重い。

 

彼にとって貴女こそが全てであり、彼は貴女を絶対的に必要としている。彼は貴女に決定的に執着し、絶望的に貴女を求めている。何故ならば、愛する貴女の血を飲まないと死んでしまう身体だから。

 

 

メンヘラここに極まれり。

 

 

ヴァンパイア映画が胸キュン旋風を巻き起こしたのは、かかる究極の愛を描き、その愛の中に身を投じたいと思わせ、その中で葛藤し苦悩するイケメンヴァンパイア、その性質として、首元に噛み付くというサディスティックで嗜虐的な愛情表現が世の乙女達のM気をくすぐったのだろう。

 

このヴァンパイアの性質を汲み取って、女性に噛みグセがあると吹聴し、実際に噛んで歯型を付け、それを自身のマーキングと位置付け悦に入っている人種がいるとかいないとか、ささやかなS気アピールかなんなのか知らないが、あなた人間だから。ヴァンパイアじゃないから。徹頭徹尾の人間だから。やり切るならやり切るで最後までやり切ってほしい。彼女のその傷口から出た血以外飲まないで。飲んで、ああ美味しい!とか最悪言ってもいいけど、それ以外の液体、清涼飲料水、アルコールドリンク一切飲まないで。だって美味しくないはずだから。で、たまに普通の食事するんだけど、嗚呼まずい、やっぱりまずいって言って虚空見つめながらそれ吐き出して。血以外は美味しくないはずだから。全部砂食べてるみたいな感覚だから。で、最終的に死んじゃうから。血飲めないからとかじゃなくてシンプルに空腹で餓死。だって僕ら人間だもん。無理ですよね。うん、無理なんだよ。じゃあ最初からすんなって話。

 

生憎、幸か不幸か、私はその人がこの世からいなくなったら死んでしまうと思えるほどの"ヴァンパイア的"な愛を体験したことが無い。少なからずそのような体験を、恋愛をしたことがある、あるいは、これからしてみたいと切望する乙女達は最後までこの映画を観ることができたに違いない。死んでしまうと思う、いなくなったら自分も死んでしまうかもしれない、、うーーーん、、ママくらいかな。私はそうひとりごちて究極の愛を悟り筆を置く。