道化が見た世界

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ファルス的大学回想録(3)

ファルス的大学回想録(1)

ファルス的大学回想録(2)

(↑今から8年前に書いていた記事の続きです)

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大学生活を充実させる為には最初のスタートダッシュこそが最も重要である、ということは往々にして言われている。そこで新環境でデビューできるか否かがほぼ決定すると言っても言い過ぎではない。

 

私は事前に戦略的にあれこれと思案したのちに行動に移す(些末な例えを出すのであれば、髪を染める、ミクシィ(懐かしい!)などで事前に入学生のコミュニティに入って交流しておく等)、言うなれば秀才で野心的な展望を持つ、理論&実践タイプの男子などではなかった。私は事前に戦略ではなく天啓を授かり、その使命(人を笑わせて幸せにする、つまり簡単に言えば、人を幸せにする)を全うせんとするスピリチュアルタイプの男子であった。

 

こう俯瞰すると、一人だけスタートダッシュのモチベーションが異次元すぎるが、客観的に見ても、このスピリチュアルスタートダッシュは、上々の滑り出しであった。それはどう見ても、中高六年間男子校に入り浸っていた一人の軟弱色白童貞男子が喋りかけられる女子の数ではなかったが、何故それが可能であったかと言えば、ひとえに私が授かった天啓のお陰である。

 

4月にスピリチュアルダッシュを決めた私の気分はこの上なく溌剌としていたが、私は一つ、ある存在をひどく疎ましく思っていた。それは大学にあまねく点在する「サークル」という共同体である。

何故、私がサークルという存在を忌み嫌っていたか。それはサークルという共同体が存在することによって、私以外の、初動段階でスタートダッシュを決められずにいた男子達が、さして力を有していなかったとしても、共通の話題、趣味(例えばテニスサークルであればテニスという共通の趣味で繋がることができる)によって、遅かったスタートダッシュを挽回する機会が与えられてしまうからだ。

私という(天啓を授かっていたとはいえ)個の力で一人のし上がってきた存在に、個としてはさして力の無い男達が共通項を探して寄り集まった既存の共同体、そのセーフティネット的共同体によって彼らの力は底上げされ、私を追い抜いて行ってしまう不条理に私は憤慨した。

もしそこにサークルというセーフティネット的共同体が存在してさえいなければ、そこには極めて明々白々な個の力が、不純物の無い状態で現出しぶつかり合うバトルロワイヤル的環境になっていたはずだのに。

あまつさえ、私一人の個の魅力と、サークルに属する複数人の男達の集団の魅力を比較すれば、そのどちらが勝るかなど火を見るよりも明らかであり、私がスタートダッシュで交流していた女性達も気付けばなにかしらそれかしらのサークルへと所属し、そしてそのサークルの溜まり場なぞに入り浸るようになり、私の存在なぞとうに忘却の彼方、なんら刺激的でも享楽的でもない会話に華を咲かせたり散らせたりして、なに食わぬ顔をして日常を送るようになる。私はサークルに負けたのだ、その時私はそう悟ったのちにひどく落胆した。

 

私個人は果たしてサークルというセーフティネット的共同体に属したのか。結論から言えば、属した。そして、私とその共同体が触れ合った時に生じた火花を伴った激しい摩擦についての詳細は後述に譲りたい。