道化が見た世界

エンタメ・エッセイ・考察・思想

コミュニケーション諸形態の情報量


自己と他者が言語を用いて意志疎通をおこなうコミュニケーション形態は、主として二種類に分類が可能である。一つはspeaking領域、二つはwriting領域である。そして今回注視するものは、それぞれの領域において、受け手側が受信する「情報量」の偏差についてである。


まず初めに、speaking領域における対面式(face-to-face)のコミュニケーション形態を考察してみよう。一般的なコミュニケーションと言われると、この形態が基本的に思われるが、メールやツイッターfacebook等のソーシャルメディアが発達している昨今の状況をかんがみると、一極的に支配的なコミュニケーション形態であるとはいいがたい。


face-to-face型のコミュニケーションは、受け手側が受信する「情報量」が最も多い形態である。受信側は発信側の「言語(声)」に加え、声色、そして表情や挙動といった非言語(ノン・バーバル)領域の情報を読み取り、そこでの微妙なニュアンスであったり、発信側の真意を汲み取りやすい。そして、自分が発信側に回った場合には、自分が発信する情報への受信側の反応(笑っている、つまらなそう、怒っている、傷付いている等)を仔細に読み取ることが可能である。


簡潔に言えば、発信側は受信側の反応の情報を全て見ることができ(同様に受信側も発信側を)、両者間での誤解や齟齬は生じにくいが、全て見ることができる故に(相手の情報を全受信してしまう為に)、伝えることが困難になる状況がでてくる場合がある。たとえば、面と向かっては恥ずかしくて言えないことを、手紙やメール(writing領域のコミュニケーション形態)で伝えるというのはまさにその一例で、手紙やメールであれば、発信側は受信側の全情報を受け取る必要がない。異性に告白する時に、面と向かって言うよりメールで言った方がハードルが低いのも同じメカニズムである(しかしハードルが高かろうが告白は面と向かって言うべきである)。


speaking領域にはもう一つ、電話やスカイプ等のコミュニケーション形態がある。face-to-face型のコミュニケーションと異なる点は、「言語」と「声色」の情報は受信できるが、「表情」や「挙動」といった非言語領域の情報が受信できないというところにある。


speaking領域のコミュニケーションは、どちらも即興的かつ動的であり、そこに時間的余地は存在しない。コミュニケーションにおける「沈黙」という状態は、ほとんどの場合、望まれない時間的余地がそこに生じた結果である。speaking領域のコミュニケーションを成立させるためには、発信側/受信側の両者に、それぞれ一定の動的即興性が要請される。


ひるがえって、writing領域におけるコミュニケーション形態は、推敲や熟慮をする時間的余地があり、静的である。受信する情報は「文字」のみとなり、コミュニケーションの中ではもっとも身体性が削がれた形態である。声色や非言語的な微妙なニュアンスがその情報として盛り込まれていない為に、発信側/受信側の両者間で誤解や齟齬が生じる可能性が高まるが、受信する情報量が少ないゆえに、伝えるハードルが下がるという場合がある(前述した例の通りである)。


たとえば、2chtwitter上で誰かを誹謗中傷する時、そのハードルは、face-to-faceのコミュニケーション上で誹謗中傷するハードルよりも低いであろう(別にface-to-faceで誹謗中傷できたら偉いという問題ではない)。その発言が有意である場合に限り、writing領域のコミュニケーションは貴方の一助になるであろう。受信側の反応の「情報量」が少なく(つまり、「伝える」という行為が、相手の反応を見ると困難になる場合)、熟慮・推敲の時間的余地があるという点がwriting領域のコミュニケーションの特徴である。


総括すると、コミュニケーション諸形態における情報量は、speaking領域(face-to-face型)で最大となり、その後に、speaking領域(電話やスカイプ等)、writing領域と続く。情報量が多くなればなるほど相互の誤解や齟齬は生じにくくなるが、逆に、全情報がダイレクトで伝わる為に、伝えることが困難になるケースも生じる。