道化が見た世界

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ノロウィルス寸劇

あらかじめ断っておくと、これからするお話はひどく下品である。読者諸賢のうちの大半はおそらく吐き気をもよおす類のものである。ゆえに、そういうお話が好きではない品行方正な紳士淑女はすぐさま回れ右をしティータイムを満喫した方がよい。それ以外の方、特にお酒を飲み過ぎたがある種の恐怖心で吐くに吐けない特殊な状況に置かれている方は、パソコンのディスプレイ脇にコンビニのビニール袋を置いてから、一語一句見逃さず精読すべきである。


私は悪夢から醒めて呼吸を荒げる時のように、早朝五時に吐き気によって起床した。2008年のちょうど今頃、私はノロウィルスというものに感染した。その時期は、慶應義塾大学の試験が二週間後に迫っており、コンディションの自己管理が最優先されるべき時でもあった。


吐き気によって起床した私は、「え、なにこれ。なにこの感じ」と心底狼狽し、この吐き気の原因は体が冷えていたからに違いないと悟り、リビングのガスストーブをつけてから、その前に体育座りをして身を温めた。なるほど確かにガスストーブは温かかったが、私のもよおす吐き気は一向に収まる気配がない。むしろ、その吐き気は指数関数的に上昇し、「あれ、これ冷えより温かさによって誘発されとる?この吐き気、温かさによって誘発されとる?」と疑念を持つに至るほどだった。


私は、その吐き気をしずめるべく、様々な手段を考案しようとしたが、最終的にとった決断は「ママに相談する」というものであった。私はママが寝ている寝室に向かった。しかし、早朝五時であったために彼女は寝ていた。私は、ここで彼女を起こすことをためらった。深い眠りに入っているところを他者に邪魔されることの怒りを、私は人一倍理解しているからであった。


結局、私は彼女を起こさず、再びリビングに戻りガスストーブの前で体育座りをしながら吐き気がしずまるのをただひたすら待った。その待ちの状態がおおよそ数時間経過した頃合いに、ママが起きて来て私は彼女に事の実情を話した。「なんか気持ち悪い」と吐露した。


彼女は、それはノロウィルスの疑いがあるから、取り敢えず病院に行こうと言った。そうしたらやはりノロウィルスであった。私は病院で薬を貰い、家のトイレに閉じこもってウェロウェロと吐き続けた。母はノロウィルスがうつることを厭わず私の背中をさすってくれた。「これが家族の愛ってやつですかね」私は吐きながら呟いた。


夜になり、私はシャワーを浴びたいと言った。しかし、万が一シャワーを浴びている最中に吐き気をもよおし、そこで吐かれては大惨事になるため、「これを持って行きなさい」と言ってママが私にコンビニのビニール袋を手渡した。「吐きそうになったら、ここに吐きなさい」


その時には、吐き気もだいぶ落ち着いてきていたため、私にはいくらかの精神的余裕があった。私は浴室に入り、頭を洗いながら大学受験のことを考えていた。果たして自分は、大学に無事合格することができるだろうか。仮に合格できたとしても、そこでいじめられたりはしないだろうか。女の子と緊張せずに会話することはできるだろうか。色々なことが頭に飛来してきたついでに吐き気も飛来した。


私は「うわ、これ急に来る時もあるんだ」などと一人ごちながら、ママから手渡されたコンビニのビニール袋に目をやった。










…………!?










穴が空いていたのである。



穴が空いていては有用な吐き袋としては機能しえず、ゲロがその穴から漏れ出してしまう。そうなればお風呂の中が大惨事であり、文字通りの下呂温泉と化してしまう。しかし、私の吐き気はすぐそこまで到達している。どうしよう。この危機的状況をどうかいくぐればいいのか、そこで私の決断は、私の精神と身体は、条件反射的な直感と英知に委ねられた。









私はビニール袋を斜めに傾けることによって、底にゲロポケットなるものを創出したのである。傾けている状態を維持することができれば、ゲロが穴から漏れ出す心配はない。この直感的判断に、私は自身の天啓的インスピレーションを感じずにはいられなかった。しかし、傾めキープは人為的なものであるから、そのままどこかに放置することはできない。放置すれば、斜め袋は元の袋の形に戻り、穴からゲロが漏れ始めてしまう。ゆえに私は必然的にその吐瀉物を、トイレに捨てる作業をしなければならなくなった。



全裸で。



私は全裸で浴室から飛び出し、全裸でトイレに入り、私の吐瀉物をトイレに流そうとした。するとその途端、私は再度吐き気をもよおした。が、これはノロウィルスからくる吐き気ではなく、ただ純粋に自分のゲロにもらいゲロしそうになっただけであった。今文章を書いている私にも若干の吐き気がおそってきているが、これはまさに「ゲロの永久機関化」だな、と心底感心している次第である。