道化が見た世界

エンタメ・エッセイ・考察・思想

JADEとエンターテイメント論

僕は以前ツイッタ―でこの様なつぶやきを残した。

エンターテイメントには様々な形態があるのは周知の通り(ダンス、歌、ゲーム、アミューズメントパーク等)だが、その中でも最も広範かつ恒常的なものは「コミュニケーション(しゃべり)」という領域である。その領域で人を楽しませることができる人間こそ、真のエンターテナーと言えるのではないか。

@professor_farce3 months ago


そのエンターテイメントの諸形態の内の一つである「ダンス」が持つ力を、僕は今日、慶應義塾大学三田祭で刮目した。その力を見せつけてくれたのは、三田祭で公演を催している「dancing crew JADE」というダンスサークルである。読者諸賢は意外に思うかもしれないが、日夜ファルスファルスと不可解な言説を唱えているこんな僕が、大学一年生の頃に所属していたサークルである。


開演前に列に並んでいる時や、会場に行く途中に声を掛けてくれた同期のJADERに対しては照れくさくなって気の効いた返答が出来なかったことを悔やんだが、いざ、入場の時間になり教室に入ると、僕は最前線の特等席を確保することに成功したのである。教室には椅子に座るエリアと、更にその前線にあるカーペットエリアがあるのだが、僕が確保したのは、まさにその前線中の前線であった。


ダンスの舞台空間とオーディエンスの鑑賞空間が区切られる、その狭間の最前線で僕は、JADEの織り成すダンスがもたらす充溢したエネルギーの迫力と、オーディエンスを楽しませようとする(そしてそれは、自らも踊って楽しむという行為と写し鏡的な)エンターテイメントの力を体感し、そして圧倒されたのである。


観客は、JADEのダンスの中に、「オーディエンスを楽しませたい」というJADER個々の意志の結合、その一体感を感じ取る。また、彼らが笑みをたたえて踊っているその様に共鳴し、同様にして笑みをたたえる。ほほえみは伝播する。


エンターテイメントとは、「人を楽しませたい」という、純然たる願いが、「自らも楽しむ」という行為に重なり結合した結果に表出するものである。そして彼らJADERは、その純然たるエンターテイメントを体現し提供するエンターテナーであった。僕があの時感じた圧倒的エネルギーは、(繰り返しになるが)ダンスのそれ自体の迫力は勿論のこと、「人を楽しませたい」と願う力、「自らも楽しむ」という確信的意志、それらが合わさった、他でもないエンターテイメントの力であった。


エンターテイメントの空間は、幸福な空間である。何故なら、その空間にいる皆が「楽しんでいる」空間だからである。オーディエンスは彼らのダンスを観て楽しみ、翻って彼らは自らのダンスを楽しみ、それを提供することをも楽しむ。エンターテイメントの空間が感動で満たされるのも、その楽しみの一体感が空間全域に行き渡っているからである。


冒頭で引用したつぶやきには、僕自身が「コミュニケーション(しゃべり)」にエンターテイメント性を求めていると書かれている。僕が今日、彼らJADEのダンスを刮目して感じたことは、たとえそれぞれの形態は異なったとしても、その底流には、普遍的なエンターテイメントの力が脈々と流れているということである。JADEは意図せずも、僕にその力を開示し、分け与えてくれたのだった。ここに、その感動と感謝の念を記したい。そして三田祭は後残すところ二日となったが、是非読者諸賢にもJADEのダンスを観に行っていただきたく思う。

【JADE DANCE LIVE 2011】

慶應義塾大学三田キャンパス
@西校舎532教室
22日(火)①11:30〜13:20 ②15:40〜17:30
@中庭ステージ
23日(水)13:20〜14:20


(もうちょっと読みやすいユルイ文体で書こうと思ったんですが無理でした。)