道化が見た世界

エンタメ・エッセイ・考察・思想

私と兄と姉

本稿は、過去記事「インディアン・インパクト」(http://d.hatena.ne.jp/kent-0106/20110901/1314906967)の中でも言及された、私の兄弟間で生成された「仲間」制度の内実に迫るものである(故に前提知識として過去記事を読んでくだされば幸いである)。その内実を語るには、まず、兄弟間における私個人のディスられ遍歴を晒さなくてはいけない。


私の人生のおおまかな期間的区分を提示すると、


幼少期(小学5年迄)/印度期(小学5年〜中学1年迄)/サブキャラ期(中学1年〜高校2年迄)/(この後の期間区分は今回便宜的に省略する)


といった形になる。「仲間」制度が確立されたのは、私が家族と共に印度へ渡った頃である。基盤となる環境は既に幼少期の頃に出来上がっていた訳だが、その幼少期エピソードを何個か掻い摘んで説明することによって、その序章とし、更に印度期における「仲間」制度を具体的に描写することによって、その中核とし、最後に、オマケ程度にサブキャラ期の「でやんす事件」を語ることによって、その終章としたい。


以上、ざっくりとした論立てだが、始める前から若干の眩暈(めまい)が私を襲っている。なるほどこれは、なかなかの分量になってしまうであろうこと。ゆえに終局へ向かってキチンと着地できるのかという大いなる疑念。もう一つは、その分量ゆえに、読者諸賢が正気を保って私に付いて来てくれるかという一抹の不安である。・・・うむ。それでは早速始めよう。


過去記事「インディアン・インパクト」において、「仲間」制度は以下のように述べられている。


私には双子の姉、年後の兄がいる。そして、一般の兄弟と別つ、私の兄弟の一つの特徴は「ディスり」にある。(中略)それはまさに「一挙手一投足の全てが監視されている状態」であり、隙を見せれば僅かな瑕疵でもそこに付け込み、可能な限り恥部をえぐり出し白日の下に晒して嘲笑の的にするという体であった。


(中略)


特筆すべきは、「仲間」という制度である。1:2の構造を作り、仲間はずれになった者を虐げる(ディスる)というものである。数が3人の場合、それぞれが均等にそれぞれをディスるということにはなりにくい。そこには必ず多寡が生まれ、力の関係が生まれる。私はこの制度を、病的なディスり環境が生み出した極致であると考えている。

幼少期の私は、顔が「猿」に似ていた為、家族からは専ら「チンパン」という愛称的蔑称で呼ばれ親しまれていた。また、小学校時代は、異性の視線をいっちょ前に気にしていた為か、私の挙動は押し並べて「カッコつけ」と言われ、兄弟からの牽制を余儀なくされていた。基本的にはこの二つの柱(「二つのディスり柱」としておこう)によって、私の軟弱でセンシティブな精神は常に傷付き、その結果として、私はトコロ構わずウキウキと鳴き(泣き)わめいていた。


ある時には、家族で行ったファミリーレストランで「テナガザル」と名付けられ(悲しいことに実際私は手が長い)、食事を食べ終え家族が席を立って帰ろうとしても、私はその場でずっと泣き続けていた(最終的にウェイトレスさんが私をあやしてくれた)。またある時には、女友達の家でプニョプニョボールで遊んでいた時に、私がフェイクパス(ジャンプしながらも下でパスを出す)をしただけで兄弟から「うわwカッコつけw」と言われ、なじられたりもした。女友達の前で「カッコつけ」と糾弾されるのは、あの頃の私にとって一等の辱めであったのだ。


ほどなくして、私達家族は印度へ渡った。渡印したことによって私が消失したものは、「大社会」の中で満たされていた自己であり、逆に、肥大化し、ゆくゆくは「全社会」として変容を遂げたのは、上述した兄弟間の陰鬱な「小社会」であった。


印度期に現出した「仲間」制度は、兄弟間で契約を交わし、相互に同意を得ることによって、その効力を具現化させた。つまり、たとえば、兄と姉が「俺達は今日から仲間な」と宣言することによって、余った残りの一人である私は「敵」と見做され、徹底的に抑圧された。


そして、その2:1の構造の中で1になるのは往々にして、私か姉であった。何故なら、兄には腕力があり、私と姉が彼をディスったとしても、すぐさま怒りの鉄槌が我が身に降り掛かることを承知していたからだ。故に、「仲間」制度における支配者は常に兄であり、私と姉は2の中に入らぬ限りは常に搾取されることを甘受せねばならなかった。


1になった人間が考えることは、2の中に不和を生じさせ、彼らを決別させることによって自らが2(つまり、兄との結託)になることであった。故に私は兄に媚び(たとえば、誰かに貰ったお菓子をあげたり、兄の要求するコトを実行する等)、また、面白いディスりを考えることによって(たとえば、私が姉に対して面白くディスったとして、それに兄が笑えば、兄と姉の関係は悪化する)決裂を誘った。


ところが一転、私が2の側になったとしても、この状況は変わらず、つまり今度は「いかに2の体制を維持するか」に心血を注がねばならくなるのであった。兄の機嫌を損ねれば、すぐさま兄と姉が結託してしまうといった恐怖心、体制を維持する為に、より高度なディスりを考案してコチラの優位性を確保せねばならなかったのである。


2になったことで安心していたのも束の間、すぐさま1に逆戻りしたり、また、1を甘受していた時に、勝手に兄と姉が決裂して2の僥倖を授かったりと、そこには絶え間ない権力の変遷があった。


「仲間」制度とは、いわば兄弟間のミクロな関係性における「政治」の縮図を体現したものであったと思う。兄はハード・パワーとしての物理的力を有し、私と姉はその力に追従した。その圧倒的な力の関係に一石を投じることとなった、「面白いディスり」(私は「ファルスを内包したディスり」と呼んでいるが)は分析考察の価値があるだろう。


(完全に脱線するが、)時に、腕力は物理的暴力として、また、言葉は心理的暴力として個人に作用する。後者の、心理的暴力が高次のものになると「ファルスを内包した心理的暴力」に発展すると、私は考えている。私が姉を「面白く」ディスったことによって、兄は笑った。兄が笑うことによって、一時的にでも「私と兄の調和空間」が生まれたのである。その高次空間は、仲間制度といった契約された相互関係の枠組みを、「超越」して喰いちぎったのである。


最終的にファルス考察になってしまったが、私の言いたいことは、印度期における「仲間」制度が、現今の私の人格に及ぼした影響は多大であった、ということだ。その環境は、有無を言わさず、私に「力の不具者」としての自己を提示した。


私達は、ただ、外界の他者と英語でコミュニケーションをとれば良かっただけだった。しかし、そう思った頃には既に、兄弟間の「小社会」の枠組みが私たちを捕らえてしまっていたのである。


やはり、と言うべきか、冒頭で述べたようにキチンと着地することはできなかった。今現在の私には、最後にオマケ程度に書こうと思っていたサブキャラ期の「でやんす事件」を詳述する余力が無い。皆目無い。ファルスを述べたことによって、完全にギャグテイストであった「でやんす事件」との文章的落差が決定的となってしまったことがその要因である。


「でやんす事件」の真相は、またの機会に譲ろうと思う。それでは皆さん、お疲れ様。