道化が見た世界

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質問力

コミュニケーション空間は、話し手である主体(act)と、聞き手である主体(react)の相互作用によって形成されるものである。コミュニケーション能力を有する者は、act-reactの両側に回っても、有機的にその空間を維持・発展できる人種である。故に、「自分が気持良くなりたいが為」に話し手に終始する人間は、真にコミュニケーション能力の高い人物であるとは言えない。翻って、聞き手の役割を、ただ相槌を打って「そうだね、わかるよ」だけで完結したものと思っている人物も同様である。


空間を領導する者は、話し手に終始する人種であるという一般的な認識があるかもしれないが、それは間違いである。コミュニケーションがact-react双方の意思疎通を意図している以上、聞き手である主体も、話し手側に回らねばならない。また、話し手である主体も、聞き手側に回らねばならない。


真にコミュニケーション能力を有する人間は、その為に「質問」をする。「質問」とは、有無を言わさず他者にactを要請する手法だからである。つまり、話し手である主体は、聞き手である主体に質問をすることによって、自らの立場を逆転させ、相手の立場も同様に逆転させるのである。メールを疑問系「?」で終わらせることが正にこれにあたるが、それに返信が来ないと絶望してしまうのは、相手をact側に立たせたにも関わらず、一向にactしてくれないからである。


「質問」とは、誰しもがコミュニケーションにおいて為す行為であるが、それを意識的に「質問力」として見つめ直している者は少ないと言っていいだろう。質問はact-reactの接着剤として機能する。この接着剤的効用を巧みに使い、コミュニケーションを円滑に進めることによって、より芸術性の高い空間を形成することが可能になるということは、まず間違いないであろう。


「質問」することによって、自分が話し手であった場合には相手を話し手に回す起点を作ってあげることが可能になり、また、自分が聞き手であった場合には相手の会話内容をより深く掘り下げることが可能になる。独立的な自分の会話の中に相手を招くことができ、翻って、独立的な相手の会話の中に自らを放り込むことができる「質問力」は、コミュニケーションにおける非常に重要な力のうちの一つであるといっても過言ではない。


コミュニケーション空間の深化は、ひとえに、「質問力」を以って可能になる。会話において、ただ相槌を打っていれば良しとする怠惰な認識は皮相であり、コミュニケーションの醍醐味に足を踏み入れていない、エンターテイメント精神が欠如した思想である。


話し手に回ることが苦手な人種は、取り敢えず「相槌+質問」をして、聞き手の役割を担えばいい。しかし、薄っぺらい全方位的な質問を連呼しても、コミュニケーション空間は深化しない。「質問力」の内実とは、鋭い洞察力と、多様な切り口を有するか否かで決定する。


よりベターなのは、相手の関心のある物事・趣味の領域、あるいは相手それ自身に対して果敢に質問を繰り広げ、自らの興味を示し(つまり、貴方が興味のあることに私も興味がありますという)「共感」を勝ち取ることである。そして、後者、「相手それ自身」への質問は、直截、「貴方に興味があります」という好意の表明でもある。


つまり、他者に質問をする際は、「この質問は真に価値ある質問であるか」あるいは、「この質問は会話をより深化させるものか」と常に吟味する気概が必要なのである。