道化が見た世界

エンタメ・エッセイ・考察・思想

持っている人/持っていない人の見分け方

世の中には、「持っている人/持っていない人」の暗黙的な階層的区分が存在しているが、良くも悪くも、その区分が客観的に可視化されることはない。幸か不幸か、世の中には絶対的存在者が不在であり、彼が「お前サブキャラ、君メインキャラ」と懇切丁寧に振り分けてくれることはない。


しかし、その様な大層な存在者が不在であっても、私達はある程度までそれを見分ける洞察力を有している。例えば、「ああ、こいつサブキャラだわ」と、絶対的確信を持って断言できる人種が私の周りにはいるし、読者諸賢の周りにもいるだろう。しかし、私達は神ではない。にも拘わらず、私達がそう判断したということは、無意識化で「メイン―サブキャラ探知センサー(洞察力)」なるものを働かせ、そう判別しているのである。


しかし、依然として、何故彼らが私達の眼前に「持たざる者(サブキャラ)」として映るのか、それを理論的かつ合理的に言語化し可視化する術を私は持っていない。そこで私は一考し、あるメソッドを思い付いた。


今回の試みは、「持つ者/持たざる者」が内在する不可視な「何か」を、行動として表出させたいつくかの場面(例えば、飲み会時の言動等)に分けて説明することによって、その階層的落差を浮き彫りにしてゆくものである。


その区分を明瞭化することに成功すれば、例えば、ある人に「サブキャラ」レッテルを貼って金輪際適当にあしらうと決めることで、自分の貴重な時間を無駄にせず、他の何かに有意義に活用することが可能になる。


女性であれば、馬鹿な男に引っ掛かる確率も格段に減るだろうし(そもそも、この考察の発端は、私の好きな黒髪乙女がサブキャラ男子と付き合っている現実に対する個人的義憤に拠るものが大きい)、男性であれば、所属する共同体の中で優位な立場に立てるかもしれない。


いわば、「悪の洞察力」を身に付ける為に、今回の試みは為されるのである。
(続く)