道化が見た世界

エンタメ・エッセイ・考察・思想

考察

チヤホヤ理論

私達人間は―we,human beings―自分の価値、力、容姿、素養、その諸々が他人に誉められたり、認められたりすると嬉しく思う。とても嬉しくなる。その他者の承認が増えれば増えるほど、自己肯定感や自信が萌芽し、男性であれば、縦横無尽に乙女の頭をポンポンす…

JADEとエンターテイメント論

僕は以前ツイッタ―でこの様なつぶやきを残した。 エンターテイメントには様々な形態があるのは周知の通り(ダンス、歌、ゲーム、アミューズメントパーク等)だが、その中でも最も広範かつ恒常的なものは「コミュニケーション(しゃべり)」という領域である…

政治と道化(ファルス)

笑いには政治的効用がある。本論では、この経験的確信を理論化・体系化させることを一義的な目的としている。 笑いの政治的効用とは、政治的な力に他ならない。ここで私は、笑いの「力」(自分が望む結果になるように他人の行動を変える能力)としての側面を…

話がつまらない先輩男子との付き合い方

いますよね。いるんですよ。所属した共同体内に必ず一定数は存在する彼ら、「つまらない系先輩男子」。彼らの何が面倒くさいかと言うと、まず、当たり前ですが先輩だから自分より年上であり、年功序列の価値尺度から、「建前上」は彼らのことを敬わなければ…

「何も生まない会議」論考

「何も生まない会議」とは、水野敬也氏が毎週土曜22:00〜に配信しているUstreamの表題である。大学一年の頃に「ウケる技術」を読んでから、「色々と見えすぎてて怖い」と、畏怖と尊敬の対象であった彼が、活字の言葉を通してではなく、生身の人間として躍動…

スカイといふ男

私といふ存在を語る上で、必然的に語らねばならぬ男がいる。それが、スカイといふ男である。私とスカイは中高一貫の男子校で出会った。高校1年から3年まで同じクラスであったが、私と彼が実質的に言葉を交えたのは高校3年の頃であった。 私が自らの人生を振…

私と兄と姉

本稿は、過去記事「インディアン・インパクト」(http://d.hatena.ne.jp/kent-0106/20110901/1314906967)の中でも言及された、私の兄弟間で生成された「仲間」制度の内実に迫るものである(故に前提知識として過去記事を読んでくだされば幸いである)。その…

黒歴史を振り返る

人には必ずその人固有の「黒歴史」がある。「黒歴史」とは、それが衆目の下に晒された日にゃ勢い余って自害やむなし、あるいは、思い出すだけでも全身に鳥肌がプツプツと立ち、やがて視界が遠のき虚空を向き始め、気付いた時には穴と言う穴から体液全放出と…

「面白い文章」考察/教材「ウケる日記」

前回の記事で言及した通り、今回は水野敬也氏のブログ「ウケる日記」を教材として、いかに「面白い文章」を書くことができるのか、考察してゆきたいと思います。本考察において、同氏が実際に(考察通りに)意図して書いたかという事実はそこまで重要ではあ…

「面白い文章」の書き方

一昔前に、「侍魂」を主とする「テキストサイト」が流行した。自らが書く文章をサイトのメインコンテンツとし、文字の大きさや色を変化させる等の多様な工夫がなされたものだった。 誰にでも分かることだが、テキストサイトを立ち上げる人間は、自分の文章力…

質問力

コミュニケーション空間は、話し手である主体(act)と、聞き手である主体(react)の相互作用によって形成されるものである。コミュニケーション能力を有する者は、act-reactの両側に回っても、有機的にその空間を維持・発展できる人種である。故に、「自分…

ワンランク上の飲み会作法(2)

過去記事「非リア充諸賢、覚醒せよ!」、それを派生させた前記事「リスペクトとディスリスペクト」では、あるべきコミュニケーターとしての方法論を詳述してきた。今回もその例に漏れず、「ワンランク上の飲み会作法」で取り上げた、飲み会での「コール」と…

リスペクトとディスリスペクト

他者との関わり合い、コミュニケーションの目的は、自己と他者の距離感を縮めることによって信頼を勝ち取ることである、とここでは便宜的に述べておきたい。そして、私は過去記事「非リア充諸賢、覚醒せよ!」において、コミュニケーション能力の内実を以下…

エリートと凡人

エリートと凡人の二項対立は、相互の敵対意識を以って、より顕在化される。 エリート諸賢(実際にエリートでなくとも、エリート意識を持つ人種も含む)は、低学歴、或いは、有名大手企業ではない中小企業に勤務する人種(つまり彼らの定義するところの凡人)…

ワンランク上の飲み会作法

大学生活において切っても切り離せない儀礼的会合、それが「飲み会」である。サークルの新歓コンパ、クラス会、合コン等々、各大学で全方位的に催される「飲み会」は、全てのコミュニケーションの土台として機能していると言っても言い過ぎではない。 まだ見…

ムカンシン

公共空間には不特定多数の見知らぬ他者が存在する訳ですが、そういった場合、私達は往々にして「無関心」を貫きます。 電車内の空間を想起していただければ分かると思いますが、例えば隣に座っている女子高生にいきなり「スカート短いですね」とフランクに話…

持っている人/持っていない人の見分け方

世の中には、「持っている人/持っていない人」の暗黙的な階層的区分が存在しているが、良くも悪くも、その区分が客観的に可視化されることはない。幸か不幸か、世の中には絶対的存在者が不在であり、彼が「お前サブキャラ、君メインキャラ」と懇切丁寧に振…

非リア充諸君、覚醒せよ!(2)

前回の考察では、コミュニケーション能力の内実を「センシティブに空気を読む力――大胆に踏み込む力」、この両極の力が有機的に機能している状態であると説いた。前者、センシティブに空気を読む力<考察力>に比重が置かれている「非リア充」と、後者、大胆…

非リア充諸君、覚醒せよ!

これまでの4年間の大学生活で、私が最も耳にした言葉は「チャラい」と「リア充」である。無論、私はチャラくもなければリア充でもない。しかし、そうでないが故に、私は彼らを理性的に考察し、その枠組みから外れた「非リア充」との差異を綿密に比較検証す…

世界はパワーでできている

国際政治学上で用いられる「パワーの概念」は「国―国」の関係を対象としているが、私は、その概念をミクロ化し、「個―個」の関係にある程度まで適応できると考えている。 たとえば、ある共同体(高校の一クラス)を想起してみてほしい。その共同体内部では必…

武勇伝系男子

昨今では、絶滅危惧種に指定されている希少価値の高い「武勇伝系男子」の生存を、私は最近大学キャンパスの喫煙所で確認した。 武勇伝系男子とは、自分の若気の至りである痛ましいエピソード(そのジャンルは軽犯罪やイジメ、暴力など多岐にわたる)を、なん…

解き放て自分

そこにモチベーション、原動力があるにも関わらず、それを上手く行動として具現できない諸要因は、様々にある。私はそれを、行動に具現できない自己であるからこそ、綿密に省察してきたと自負している。最も、こんなことを自負していても皆目意味は無い。 思…

企業の「お祈りメール」の本質

企業のお祈りメールに就活生一同が心を折られるのは、「自分は社会的に必要の無い人間なのかもしれない」というクリティカルな問題に直面しなければならないからである。故に、祈られる回数が増えれば増えるほど、自己の心の安寧はぐらつき、ゆくゆくは音を…

内向的少年の恋愛的煩悶

もし仮に、私が自己批判の眼から免れることができ、他者を一方的に糾弾する特権を手に入れたとするならば、私は彼を許さない。何故なら、彼は私が欲する人を手に入れたからである。 彼に備わっている人間的魅力というものを、私は皆目理解できない。だから、…

ウケる為の心構え STEP3

ウケる為の心構えの最後を飾るこのタームは、かなり難易度の高いものになります。それは、意識的に「周囲の笑いに対して敏感になる」ことです。つまり、電車内やレストランで会話をしている人達や、大学のサークルの友達が喋っている場面でも良いですが、そ…

ウケる為の心構え STEP2

さて、もう一つ忘れてはならない、とても重要な心構えがあります。それは「第三者の視点で、状況を把握する」ことです。これは、俗に言う「神の視点」といわれているやつです。僕達は皆、自分自身の目で世界を見て、自分がこれまで形成したフィルターを通し…

ウケる為の心構え STEP1

まず、ユーモアセンスを磨く為の出発点は、「いかにして、笑いと向き合うか」を想起し、その姿勢を作り上げることにあります。この段階が、最も基礎的なことであり、かつ、最も重要なことなのです。 人を笑わせる為には、少なからず羞恥心を払拭しなければい…

私がはてなの議論に参加できない主な理由

私は常々はてなで織り成される議論に参加してみたいと思っていたのだが、最近どうもベクトルが違うのではないかと感じ始めてきた。というのも、例えば今のホットな議論と言えば児童ポルノの表現規制の話であろう。 私が何故そのような議論に参加できないのか…

ニートは悪くない

ニートについての諸問題ですが、私は、現状を鑑みて、ニートの若者達が総じて悪いとは思っていません。 そもそも、ニートとは怠けたり甘えたり、「働く」意欲がないのではなく(まぁ完全に意欲のないウンコな人もいるかもしれませんが)、職場の人間関係に耐…

生きることは本質的に無意味であり無価値である。

私の死生観は、生きること、今私がこの世に存在していることは、徹頭徹尾、無意味であり、かつ無価値であるという一種虚無的な認識に依拠している。また、この認識を個から全体へ敷衍させて、森羅万象もみな総じて無意味かつ無価値であると私は考えている。 …