道化が見た世界

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ラスカルを巡る旅

さて昨今、私は自他共に認めるラスカル系男子の名を欲しいままにしている訳だが、そもそも何故私がラスカルに愛着を持っているのか、自身のルーツを掘り下げて考えていきたい。

ちなみに、ラスカル系男子とは、ラスカルのLINEスタンプを多用することによって、女性陣に(ラスカルに後押しされた)自分の可愛さをこれ見よがしにアピールする愛嬌に満ち溢れた男子の総称である。

私のラスカル愛の芽生えは、小学校低学年までさかのぼる。当時の私は、ぬいぐるみを集めることに人一倍の喜びを感じる少年であった。大小様々な動物のぬいぐるみを、誕生日やそれに準じたイベント毎に両親に買ってもらい、ぬいぐるみ達の集合写真をインスタントカメラで撮り続けるといったライフワークをそつなくこなしていた。

そしてその中でも、私がとりわけ愛着を示していたぬいぐるみ達がいた。彼らの名は、



シッポッポ族



と言った。私が命名したのか、最初からそういった名前が付与されていたのかは定かではないが、取り敢えず彼らは名をシッポッポ族と言った。

そして私が愛したシッポッポ族の中でも、とりわけ愛したシッポッポ族がいた。それは、私が「三兄弟」として位置付けていた、シッポッポ・ジュニア、シッポッポ・ハスキー、そして、シッポッポ・ヌーグの三匹である。

長男のシッポッポ・ジュニアはネズミ色をしたシッポがやけに長いリスであり、次男のシッポッポ・ハスキーは名前の通りシベリアンハスキーであり、そして、三男のシッポッポ・ヌーグは何を隠そうアライグマであった。

私はぬいぐるみを愛し、その中でも、シッポッポ族を特に愛し、更にその中の三兄弟を格別に愛し、その三男であるシッポッポ・ヌーグを至高に愛していた。

私は何処に行くにもシッポッポ・ヌーグと行動を共にした。幼馴染みの家に行く時も、ご飯を食べる時も、寝る時も、いつも私の隣にはシッポッポ・ヌーグがいた。時間がある時はいつもシッポッポ・ヌーグの絵を描き、大きな画用紙を数枚使って巨大シッポッポ・ヌーグを描いて子供部屋に貼り付け幸福感に浸っていた。

しかし、小4になった頃、犬を飼い始めた時から事態は急変する。私が無償の愛を注いでいた対象が、ぬいぐるみから犬へ変化した訳ではさらさらない。ではなく、その犬、チワワのチコが、私のぬいぐるみを次々と喰い殺しにかかってきたのである。

私は慄然としたが、私のシッポッポ族がチコの毒牙にかかるのに、そう時間は掛からなかった。ふとした時、チコを一瞥すると、彼は何かをくわえていた。



シッポッポ・ヌーグである。



私の一瞬の隙をついて、チコはシッポッポ・ヌーグを捕らえていた。私はすぐさまチコがくわえていたヌーグを掴み取って払いのけた。私は安堵したが、何か違和感を覚えた。もう一度ヌーグをしっかりと見た。



左手が無い。



ヌーグの左手が無くなっていた。私は泣いた。白い綿のようなモコモコがヌーグから飛び出ていたのを見て泣いた。すぐさま母親を呼んで、チコによって食い千切られた左手とヌーグの胴体を縫合してもらい事無きをえた。

私にとってのラスカルのルーツとは、つまり、私にとってのシッポッポ・ヌーグである。故に私はラスカルに至高の愛を注ぎ続けるのである。