道化が見た世界

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些細な変化に気付く男子

女子の些細な変化に気付くこと。それがモテる男の1つのベタな条件であることに異論はまたない。あっ髪切ったんだ、髪色変えたんだ、ネイル新しくしたんだ等など、男子なら一度は言ったことのあるフレーズであろう。

では何故、些細な変化に気付くことがモテることに繋がるのか。それは、その変化が



些細な(どうでも良い)変化






(どうでも良い)




からに他ならない。どうでも良いのである。客観的に見れば一個人が髪を切ろうが染めようが、ネイルをしようがしまいが、変な色のカラコンを付けてようがつけてまいが、徹頭徹尾、果てしなくどうでも良いことなのである。

しかし故にこそ、そのどうでも良い変化をあえて指摘することに価値が生まれるのだ。誰もが指摘、気付きうる事柄を指摘したところでそこには何の意味も価値もない。

久々に会った友人の頭が完全にハゲていたとして、あるいは、何故かその右腕が完全に無くなっていたとしても、それを指摘したところでなんの価値もない。何故ならばそんなことは誰もが気付く由々しき事態だからである。

髪を切ることひとつにしても、自分が髪を切るということになれば、それは主観的に見て1つの大きなイベントのように感じられる。

しかし、自分ではない他者が髪を切ったとなった途端、それは些細でどうでも良いイベントのように感じられてしまう。この認識の落差はどこからくるのか。簡単に結論付けてしまえば、恥ずべきことに私たちは概して、



自意識過剰



なのである。自分が自分を見る目線に支配されていると言ってもよい。自分が髪を切ってだいぶ変わったなと思っていても、人から見たら、え?あ、髪切ったん?くらいの軽さで見られることなどままあるだろう。

だからこそ思うのだが、些細などうでも良い変化に気付かなかった男に対してわざわざ、何で気付いてくれないの?と軽く怒ったり、あるいは、そういうとこに気付かないからモテないんだよ!なぞと何故だか上から目線で物を言う必要は無いんじゃないだろうか。変化に気付いた人にはありがとうという嬉しさを伝えることこそあれ、気付かない人をあえて攻撃する必要はないであろう。

だってそれはそもそも、

自意識過剰な個人が重大な変化であるとおめでたく思っているだけで客観的に見れば取るに足らないどうでも良い変化

なのだから。