道化が見た世界

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おい、ブスって言うな。

男女のコミュニケーションにおいて、僕が長年、最も不可解極まりなく、理解に苦しみ、並々ならぬ義憤を感じているものがある。それは、男性が「ブス(笑)」と女性に言い、女性が「もう~ブスじゃないし(笑)」と返すじゃれ合いである。この男女のキャッチボールを100%肯定し、理解していると思っている人は、そもそもこの文章を読むモチベーションもないだろうし、読まなくてもいいんだが、ただそうした場合の唯一にして最大のデメリットは僕と友達になることができない。

何故なら、僕は女性に対して「ブス(笑)」と得意げに言う男が親の仇の如く嫌いだからである。さあ、それでは、ただいまより、そのにっくき男性側の問題点を列挙していきたいと思う。

 

 

問題点①

「どの面下げて言ってんだ?」問題

そもそも「ブス」という言葉は、噛み砕いて言ってしまえば、「あなたの顔は醜いです。」と、その対象者に表明することである。そしてその表明は明らかに誹謗中傷の類(俗っぽく言えばディスり)であり、その対象者が傷付くであろうことは当然予期できるし、そうであるならば、そうやすやす鹿のフンのようにポロポロと口に出すべき言葉ではない。

 

さらに、「ブス」と女性を中傷し、劣位に置く言葉は、その言葉を発した自己を相対的に優位に置く、つまり、「僕はブスではなく、それ以上の顔を持っています。簡単に言えばイケメンです」と表明したこととなる。たとえば、人にバカだな!と言った時、その人はその他者よりも自分の頭がいいことを暗に表明しているわけである。

 

つまり、人に「ブス」と言う行為は、自分の顔面がある程度整っている、なんならイケメンというおめでたいナルシシズムと、おかど違いも甚だしい身の程知らずの上から目線と、自分が優位に立ち主導権を握りたいと目論む下卑た下心とが、その男の精神に大前提的に宿されてなければ成立しないのである。この三点セットの醜き精神こそが、僕の心に聖なる義憤をともす主要因である。

 

そして、そのようなひどく独善的な精神と決別する為には、女性側も「もう~ブスじゃないし(笑)」なぞと生ぬるいじゃれ合い、愛想笑いをしている場合ではない。「お前、どの面下げて言ってんだ?」「ブスがブスって言うと余計ブスに見えるね」「人をブスブス言うブスは、己のブスを知らぬブス」「その顔面偏差値でナルシストとかゲボりそうなくらいキツイ」「お前のツラにもらいゲロしそう」「その醜悪なツラが生理的に限界過ぎて精神的にも肉体的にも失禁しそう」など、はた目から見れば強度がかなりある言葉を投げかけ、ショック療法をしなければ、彼らはそのおめでたい幻想から目を覚ますことができないであろう。

 

極論を言ってしまえば、「ブス」と人に言うことが成立する人間は、主観的にも客観的にも、自他共に認める確固たるイケメンでなければならない。そうでなければ、その男はすぐさま「お前、どの面下げて言ってんだ?」問題の範疇に入ることになる。最後にこの問題の結論として言えることは、

 

 

お前、吉沢亮じゃないんだから人にブスって言うな。

 

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問題点②

「そもそもしょーもない」問題

 世は広く、様々な職種があることは承知しているが、この社会には「ナンパ師」と呼ばれる人種が存在する。原則的に彼らは女性に声を掛けナンパし、ホテルまで行くことをゴールに掲げ、それに際するマインドセット、テクニックなどをブログなどのSNSで発信し、その講習や教材販売などでお金を稼いでいる人種である。

 

そのナンパ師界の専門用語に「ネグレクト(略してネグ)」という言葉があり、その意味を調べてみると、「敢えて相手に関心がない素振りを見せたり、批判的な態度をとる、けなすことで興味を引く様。失敗すると、ただ相手を傷つけて終わる結果となる。」とある。

 

これまで述べてきた「ブス」と人に言う行為は、このネグレクトで言うところの「けなすこと」に符合するが、普通に考えてみても「ブス」と人をけなすことはあまりにも低俗なネグである。(略して言ってみた)

 

容姿端麗な女性は、いつも周りに可愛い可愛いと褒められ、ちやほやされ、持ち上げられることに慣れているから、そこを逆張りして、敢えて可愛いと褒めたりしない、小馬鹿にしてみるといった正攻法の戦略の正しさは一理あるかもしれないが(ここでも「ブス」とけなすことは低俗で正しくないが)、どのようなネグレクトも、俗っぽく言えばディスりもイジりも、良質な褒めには一切敵わないという認識は必要である。

人は当たり前のように、褒められたら嬉しい生き物である。そもそもけなされて嬉しい人間の方が少数派であることをまず認識すべきである。そして次に、キミは人をけなす前に、人を褒めるという世界を知り尽くしたのかと僕は問いたい。

褒められ慣れている美人に対して、数多の他者の褒め言葉の追随を許さないほどの珠玉の褒め言葉を、褒められ慣れている美人でさえも、ハッと頬を赤らめてしまう褒め言葉を考えようとしたことはあっただろうか。その世界を深く知ろうともせず、つまり、多様で豊かな褒めの世界からはスッと身を引き、鹿のフンが如くポロポロと得意げに、醜悪なツラをたたえながら、ブスブスブスと呪詛のように唱えるキミはあまりにも滑稽ではあるまいか。更に言ってしまえば、しょーもなくないか?うん、そう。しょーもないんだよ。

 

「ブス」とシンプルにけなすことはあまりにも滑稽でしょーもない。なんの芸もない。知性を感じない。面白味がない。全てがない。どうせけなすなら、どうせディスるなら、どうせネグるなら、どうせイジるなら、もっとちゃんとする責任と義務がある。

 

僕がここで提案するのは、「褒めているようで、実はけなしている」という「褒めイジり」というジャンルである。シンプルに「ブス」とけなすよりは、いくぶんかマシであると考えている。以下にいくつか例を挙げてみたい。

 

1.「すごい可愛い!!ウチのママの次に!」

2.「すごいモテそう!モンゴルあたりで!!」

3.「そのバッグ高そうでオシャレだね!何百円したの?!」

4.「肌の透明感がすごいね!イカみたい!!」

5.「スタイルめちゃいいね!毛を毟りつくされた後のアルパカさんだ!!」

6.「ジム通いとか意識高っ!スムージー飲み過ぎで酔ったことあるでしょ?!」

 

前半部分でベタに褒めつつも、後半部分でけなすことでツッコミを誘発しやすくなる作りになっている。貴方自身のセンスと知性とユーモアと、女性と前向きにじゃれ合いという向上心を持って是非「褒めイジり」にチャレンジしてみてほしい。

 

以上述べてきたように、主にこの問題点二つが、長年僕が抱いてきた義憤の正体である。褒めてばかりでは二人の心理的距離感を縮めることができない、イジったり小馬鹿にすることでその距離感を縮めることができるといった意見は一理あるが、その人達は果たして真に褒めの世界を知り尽くしているのだろうか。最後にもう一度だけ問い直したい。

 

僕は、女性に褒められただけでその人を好きになってしまうくらい距離感を縮められてしまう。褒められ慣れてない人間は褒めにめっぽう弱いのだ。そしてそもそも日本人は「褒め」慣れてないから、必然的に「褒められ」慣れてる人間が少数派である。

 

この記事を最後まで読んでくれたキミには是非とも、「ブス」と言って悦に入るしょーもない人間にではなく、褒めて褒めて褒め殺して、時には小気味良くいじったりもして、女性に喜んでもらえる人間になってほしいというのが僕の切なる願いである。