道化が見た世界

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女性がジャニーズやEXILEと付き合わずに僕達一般人と付き合うことは妥協である。

新年明けましておめでとうございます。そして、本日1月6日は僕の25歳の誕生日なんです。誕生日にこのような記事を更新するのは拗らせの極みの様な気も致しますが、実際に拗らせの極みなので理にかなっているというものです。



さて、今日は僕が常々抱いている疑念というか、もうどうしようもないこの世界に、ただ無力な自分がいるというポエティックであり虚無的な心情を、客観的に考察したいと思います。それはタイトルにもある通り、女性がジャニーズやEXILEと付き合わずに僕達一般人と付き合うことは妥協である。という命題です。



こういうこと言うと、まずはじめに善良な市民の皆々様は、「いや、有名人を好きになるのと現実世界の人を好きになるのは全然違う感情だから。」なぞと、生暖かい吐息をかけてくるきらいがありますが、冷静になって考えれば分かりますが、ジャニーズもEXILEも僕たちも、総じて現実世界の人間なのです。



まずは認識を新たにしなければいけない。そもそもジャニーズもEXILEも僕たちも、この地球上に生存している人間であり、男子なのです。みんな同じ土俵に立ってはいるのです。では、同じ土俵に立ってはいるのに、どうして好きという感情を「(有名人に抱くそれとは)違う感情だから」と言われてしまうのか。


彼女たちの主張は絶対的に誤っています。彼女たちが抱く好きという感情は、ジャニーズに対しても、EXILEに対しても、僕たちに対しても、それぞれ同質なものです。しかし、けれども、違う感情として彼女たちの中で処理されてしまう原因、それは、ジャニーズやEXILEが遥かに超越的に格上であり、ひるがえって、僕たちが遥かに超越的に格下の存在であるからに他なりません。




ごくシンプルに言ってしまえば、




彼らと比べると、僕たちは何の魅力も価値もない。






一人の男として完全に敗北している。






何の為に生きているんだろう。





彼らがあまりにも魅力的で、価値があり、輝いて見えるので、彼女たちは、自分が抱く好きという感情をねじって理解してしまっているのです。僕たちは彼らに比べると、価値も低く、魅力も無く見える対象でしかないわけです。イケメンであり、歌って踊れ、ひたすら努力を重ねている彼らに勝てるはずもありません。これが現実なのです。



さて、ここで一つ考えてもらいたいことがあります。誰かとお付き合いしているときに、みなさん一度は、ふと不安になったことはありませんか。「この人が違う人のことを好きになったらどうしよう」という不安を抱いたことはありませんか。自分よりイケメンな人に、可愛い人に迫られたらどうしようという、あの普遍的で根源的な不安。



自分より魅力的であり価値のある他者が、自分と付き合っている人に迫ってきたら、そこに見えるのは敗北という二文字でしかない。それが、ましてや、あの、名高き、男の頂点に君臨するジャニーズ様やEXILE様であったとしたならば、一人間としての圧倒的完敗しかあり得ないでしょう。



僕が嘆きたいのは、明らかに自分が無力であり、魅力的ではなく、価値のない人間であることを自覚せねばならないということです。仮に僕が誰かと付き合っていたとして、その子の前に自分より魅力的で価値のある男が現れ、彼に迫られたとしたら、僕は確実に負けるでしょうし、仮に負けていなかったとしても、それは、その子の前に自分より魅力的で価値のある男が現れていない限りにおいてでしょう。



だから、結局のところ、僕が言いたいことは、タイトルに戻りますが、女性がジャニーズやEXILEと付き合わずに僕達一般人と付き合うことは妥協である。ということなのです。確かに、そこらじゅうにジャニーズやEXILEがいるとは言いませんが、少なからず、あなたを脅かすジャニーズやEXILE“的”な存在はいるに違いありません。



そう考えると、他者(特に同性)は潜在的にも顕在的にも自分にとっては敵でしかない。自分では到底かなわない敵が周りにはうじゃうじゃいるかもしれないという恐怖と不安を背負ってかないといけない。



どうすれば、そんな彼らに勝てるのか。まず勝ち目はないんです。ただ、信じるしかないんです。自分達が付き合っている子に対する、自分の、愛の力が、彼らよりもまさっているか、というその一点のみに、全てを捧げるしかないんです。その子が、その愛という、計量不可能で曖昧模糊としたアホみたいな抽象的概念を汲み取り、繋がり続けてくれるかという一点のみを信じるしかないのです。








、、、死にたくなるだろ?
(完全虚脱)