道化が見た世界

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ナンパ戦線異状アリ

 私はとある夜に渋谷へ向かった。ナンパする為では決してなく、高校以来の友人と会う為にである。ハチ公前とモヤイ像前を繋ぐ通路付近で、私は友を待った。


 そこにはちょうど人一人が写る程度の細長い鏡のていをなしたガラスがあり、私はそこで日課である髪型チェックをしていた。人にナルシストであると悟られないようにしながら視線を鏡に向けることは思いのほか困難を極める。私は分別のあるナルシストであった。


 そのガラスの横にはスーツ姿の女子学生が一人立っていた。就活生なのか、既に社会人なのかは判然としなかったが、どうやら彼女も私と同じく友人を待っているようだった。私達は同じ境遇にあった。



「○○飲みの方ですか?」



 ふと突然、黒ぶち眼鏡をしたアラサーサラリーマン風の男が彼女にそう声をかけた。「○○飲み」というのはおそらく、彼らの仲間内の飲み会で、そう問うということは、彼と彼女は初対面であり、つまり、オフ会のようなものだなと私は思った。すると彼女は、怪訝な表情を薄く浮かべながら「えっ?!違います」と答えた。



ん?



 どうやら黒ぶちは人違いをしたらしい。そこで彼は、あー、そうですかとなぞと適当に相槌を打ちながら、「いや〜でも元カノにスゴい似てるんですよ!」と、ナチュラルに切り返した。



は?



 私は人様のナンパの現場に居合わせたのである。「○○飲みの方ですか?」というのは彼女と話すきっかけを作るためのフェイクであり、つまり、人違いを装ったナンパであった。


 本当は○○飲みなど存在せず、むろん彼女もそんな存在しない飲み会に参加するわけもなく、よくぞそのアホ面下げて「○○飲みの方ですか?」なぞと自信ありげに問えたものだ。ヌメヌメしたナメクジのようなナンパをするなあと思い私は少し不愉快になった。


 黒ぶちの「元カノにスゴい似てるんですよ!」というあさっての食い込みフレーズに対し彼女は「いやいやいや!」と困惑していたが、彼はそれを意に介さず、「待ち合わせですか?学生さんですか?」なぞと続ける。彼はナメクジ冥利に尽きていた。


 私は少し隣からその光景を、ナメクジがナメナメしている光景を、嫌悪と好奇の狭間で眺めていた。ナメクジがどのようにその場を終息させるのか気になった。ナンパならば「あのこれ見ての通りナンパなんですけど、」とカミングアウトして声をかけた方がまだマシである。そもそも性の商品化がうんぬんなぞと私が思案していると、ふとナメクジがこちらを一瞥して言った。



「あ、あれ彼氏?(笑)」



 ナメクジは私を指差してそう言った。彼のほくそ笑んでいるその表情を見た刹那、私は聖なる義憤に駆られた。私には彼の内に蠢く唾棄すべき内面も同様に見えたのだ。


「(また人違いパターンでスムーズに声かけできたわー、ちょれーwナンパマジちょれーwwこっから適当にまくし立てて情報引き出すかー。この子めっちゃ困惑してるけどその感じがいいよなーwなんか優越感かんじるわーwよーし、ここでいっちょ周りも巻き込んでイジって俺の余裕っぷり、ハイレベルっぷりアピールすっかーwww)




「あ、あれ彼氏?(笑)」






「そうです(ズンッ)」






 私は間髪入れずに踏み込んだ。私のその原初の一歩を見た彼らはそろって吃驚仰天した。ナメクジはテンパった。まさか私が、まさかこの私が、彼の発言に答えて踏みこんで来るとは、到底思えなかったであろう。そのおめでたい脳味噌では。


 私が「いやいやっ」と慎ましい苦笑いを浮かべながら、自己愛に塗りたくられた傲慢至極な彼の攻撃(ナメクジ・アタック)を拒絶すると思ったであろう。世には常に例外があり、この場合、その例外こそが私であった。「確実にツブす。」私は刹那咆哮し、原初の一歩を踏みこんだ。



「俺の彼女なんで、マジそういうのやめてもらっていいですか?」



 ナメクジは尚テンパっている。何故ならば、私が彼女の彼氏なわけないからである。彼女は彼女で、この不可解極まりない状況に笑い始め、「カップルとナメクジナンパ師」ミニコントが半ば強制的にスタートした。すると彼は、「えっじゃあお互いなんて呼んでるの?」と攻撃、「けんちゃんゆきちゃんの仲」と私のカウンターアタック、「そもそも関係は?」「バスケ部の先輩後輩」なぞと応戦し、私は一呼吸置いて言い放った。



「てかこれナンパですよね?!」




「人違いと見せかけたナンパですよね?!」



 彼の言動全てを規定する、かかる釘刺しの言辞により、彼は文字通り塩をかけられたナメクジのように委縮した。この時、「そうだよ!ナンパだよ!完全にナンパです!」と開き直られたら私は何も言えなかったと思うが、そもそも彼はそういう人間ではなかった。


 結局彼は、イタチの最後っ屁のごとく「電話番号だけでも!」としつこく放言するので、「だから俺の彼女に手ェ出すなって!(この上なくキザな表情で)」と啖呵を切り、最後に彼は「じゃあ、これから男飲みなんで」とこの上なく不可解な言葉をあとに去っていた。


 そして一人残された女性に、私は開口一番で「ありがとうございました」と謝意を述べられたのである。この世にスーパーヒーローなる者がいるとすれば、それは私であった。スーパーヒーローの眼前にもう敵はいない。そして彼は続けて言った。自己愛に塗りたくられた傲慢至極な表情をたたえながら言った。



「大丈夫でした?あれ完全にセコいナンパでしたね〜。渋谷ああいう変な人多いっすから気を付けた方がいいですよ〜。本音言うと僕も電話番号聞きたいんですけど、もう下心しかないんですけど、やっぱりここは粋に何も聞かずに立ち去った方がカッコいいんで立ち去ります!お気を付けて!」



 スーパーヒーローは、最後の最後に女性を見なかった。「お気を付けて!」と女性に告げている自身の姿を鏡越しに見つめていた。