道化が見た世界

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【短編】体毛全面戦争(2)

「ワシはこの世界が創世された頃からずうっと、この洞窟を守護し続けて来た。この世界の歴史も知悉しておる。だからいくらかは、お前さんの力になれると思うがね」洞窟の最深層に佇む鼻毛の長老はカラカラと笑いながら言った。彼の毛色は真っ白であったが、かといって精気が無くなっている印象は抱かなかった。むしろ全身を覆っているアウラのようなものを私は感じた。


「この世界が創世されたのは、凡そ20年前とそこらじゃ。創世期には、みなが結束し合って調和の保たれた毛世界を創り上げておった。といっても、まだその時は、胸毛もワキ毛もケツ毛も髭の若造もいなかったがな」


「髪は、特に前髪はどうだったんですか?」


「ああ、あんなもんは若造に毛が生えた程度じゃったよ。あやつらが図に乗り出したのはついここ数年の話じゃぜ。あやつら、『デビューだ!デビューだ!』と訳の分らん事を日夜連呼し始めた頃からおかしくなりよったんじゃ。その日を境に、色を付け始めたり、毛束になってクルクルしとったり、完全にパァになってしまったんじゃ、クルクルパァに」


私は長老に、近年ますます常軌を逸し始めた彼らの蛮行を詳細に話した。そして、このままでは調和を保っていた毛世界の秩序が崩壊しかねない、私が断固として彼らと闘う決意をしたということを語った。すると長老は、頷きながら少し間をもって続けた。


「そうか。確かに現状のままでは、前髪暴走の不安に駆られて、ろくに皮膚の保護に徹することもできないのう。よし、取り敢えずこれをお前に授けよう」長老はそう言って、私にあるものを手渡した。



「これは、毛世界地図じゃ。ワシらが住んでおる洞窟は赤い十字で記されておる。そもそも、この世界は『陰』と『陽』で二分されておって、ワシら鼻毛は『陽』世界に属しておるが、この洞窟での暮らしを見て分かるように、どちらかと言えば『陰』世界に親和性が高いんじゃ。お前が言っておった、体毛本来の使命を忘却し、俗物世界に堕した毛は『陽』世界の毛達と言ってもいいだろう。ワシらは、この洞窟のお陰で、『陽』世界に属しながらも、俗物デビューせずに済んでいるのじゃぜ」


「なるほど。しかしこの地図を見るに、私達鼻毛は既に四面楚歌状態ではないですか?更に、髪共を討伐しに行く際には、この洞窟から出てゆかねばなりません。出て行くことで神の怒りに触れることはないのでしょうか?」


「出て行けば神の怒りに触れ、抜かれて死ぬのは確かじゃ。じゃが、一つだけ方法がある。洞窟を出ても神の怒りに触れない方法が、ただ一つだけあるのじゃ」


長老はそう言って、何か秘め事を語ろうとする重々しい雰囲気に包まれたが、私が気付いた時には既に逝っていた。私は私なりの脱出方法を考えなくてはいけなくなったのだ。