道化が見た世界

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でやんす事件

私が、心理的暴力としてのディスりを希求するに至った象徴的な事件、それが今から述べる「でやんす事件」である。ちょうどサブキャラ期の真っただ中だった中学二年生の頃、つまり、比類なき劣等感と自己否定感にさいなまれていた頃の私でさえも、「コイツは筋金入りのサブキャラである」と瞬時に認知することのできた、T君という人間がいた。


T君は常に陰鬱なオーラを身に纏い、路傍の石ころの様に教室の片隅で読書をし、そして、語尾には必ず「でやんす」を付けていた。遥か彼方から「そうでやんす〜」という奇々怪々なフレーズが私の耳に入ってくる時はいつも、「ああT君だ」と呟き、虫唾を走らせたものだった。


知らない人の為に注釈をしておくと、「でやんす」とは、「実況パワフルプロ野球」というゲームの登場人物である矢部君(主人公の親友として常に登場する人物)の口癖である。中学二年生の当時に、そのゲームが流行っていたかどうかは定かではないが、おそらく、T君はその矢部君になりきることによって、路傍の石ころに過ぎなかった、無色透明の自分のキャラを立たせようとしていたのだろう。結果としてキャラは立ったが、かの弁慶の様に、立ちながらに死んでいた。


そんなT君と私は、ある時、昼休み中の廊下で邂逅した。彼との会話の内容を細部までは記憶していないが、総じて勉強の話をしていたと思う。T君は特進クラスだったので、私よりも頭が良かった。それ故、私には彼の若干の上から目線が癪であった。私は彼を、自分よりもサブキャラであると認識していたのだから尚更だ。そして、私が食い気味でT君に反論を加えたその時、




「お前、いつから俺より身分高くなったの?」




T君は私に、そう言い放ったのである。私はこの一撃に対して茫然自失となり、はるか虚空を見つめながら「は?」と、声にならない声を出した。私は彼に何も言い返すことも出来ずに教室に戻った。昼休みが終わり授業が再開されるが、先生の声は一向に私の耳には入ってこない。


私は、自分よりもサブキャラだと認知していたT君に、面と向かって「お前、オイラよりサブキャラでやんす」と、それがさも自明の理であるかのように諭されたのである。しかし、その発言に対するT君への殺意よりも、自分自身への不甲斐無さ、憤怒が遥かに上回っていたのだった。何故あんな輩に対して何も言い返す事が出来なかったのか。あの時どういう切り返しをしていれば、T君を潰すことが出来たのか。私は授業中にその事柄を延々と頭の中で考え反芻していた。


もう二度とこんな屈辱を甘受したくない。私はその時決意したのである。ディスりの土俵に私が今こうして立てているのは、全て「でやんす事件」を起こしてくれたT君のおかげである。お互いが成長した今、当時は昼休み中の廊下での邂逅であったが、何処かでT君と邂逅するチャンスに恵まれたら、感謝の意を込めて彼に私の力量を測ってもらおう。