道化が見た世界

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帝国お悩み相談所 Note.2

相談者3(J.Kさん 8歳):僕は学校の友達と喋っている時などに、人の悪口を言ってしまうことがあります。人の悪口を言うことは良くない事だ、とお母さんに言われたので気をつけるようにしていますが、たとえば意地悪をしてきた友達に対して、僕が陰で彼の悪口をコソコソ言うことは、そんなにいけないことなのでしょうか?


皇帝:こんばんは、皇帝です。これはなかなかに難しい問題ですね。私自身、悪口を言うことは良くないことであると思っていますが、かと言って、絶対悪ではないと思っています。


人は社会で生活する上で、必ず他者に対して不平や不満を抱きます。人間の心理は、他者に対する見栄と嫉妬心で大概説明がつくと言われていますが、やはり、そういった事を鑑みても、他者との軋轢や摩擦は防ぎようのない事態であると言えるでしょう。


それ故、その様な環境下において、人の悪口を言いたくなるという感情は、ごく自然な事であるとは言えないでしょうか。その自然な環境を包み隠す為に、皆が笑顔をそこらじゅうにばら撒き、右顧左眄して他人を病的に気遣うような上っ面の幸福社会は、湿度の高い密閉された社会である、と言う事ができるのではないでしょうか。


貴方のお母さんは、人に悪口を言ってはならない、といった高尚な倫理観を振りかざして貴方を諭していますが、(大変失礼ですが)彼女自身がそのような高尚な倫理観に従って生きているとは到底思えません。


人々は何故、さも当然のように、悪口を良くないことであると断言するのでしょうか。ほとんどの人間は、何も考えず思考停止状態で、そう主張していることだと思います。


では、そう主張して実際に悪口を言わないのは何故か。その理由として一つ挙げられるのは、悪口を言ったら、自分も誰かに悪口を言われてしまうだろう、といった恐怖があるからです。つまり、ほとんどの人間が悪口を嫌うのは、他人を思いやる心から生じるのではなく、単なる“自己保身”の為なのです。


勿論、他人を思いやる気持ちから、悪口を心の底から嫌っている平和的な善良な市民がいらっしゃることは否定しませんが、大多数の人間はそうではないと考えます。


そしてもう一つの理由は、これが決定的なのですが、その悪口を聞いている第三者の人間が、単純に不愉快な気持ちになるからです。悪口とは概して主観的で感情的なモノです。一言で言うと、“低俗”なのです。その光景を傍から見ていると、非常に滑稽であり、痛々しいのです。では、他者との摩擦や軋轢が絶えない社会の中で、一体どのようにしてそのフラストレーションを放出してゆけばいいのでしょうか。


答えを簡単に言ってしまいますと、悪口にエンターテイメント性をもたせれば良い、ということになります。つまり、悪口を言うのであれば、面白い悪口を言え、ということです。無論、面白い悪口と言っても、悪口であることに変わりは無いので、貴方もその標的になる覚悟を持たなければなりません。


たとえば、自分と待ち合わせる時だけは、常に時間にルーズで、しかもそれを何とも思っていない人間を辛辣に批判したい時には、感情的にならず、あくまでも理性的に、「彼は怠惰で傲慢で狭量で盲目である」と言えばいいでしょうし、人を幸福にしたいとのたまう博愛主義者に対しては、「正気の沙汰とは思えない。総括すると、気色が悪い」と率直に心情を吐露すればいいでしょう。


貴方に、自分が悪口の標的になる覚悟があり、かつ、他人に嫌われる覚悟があって悪口を用いるのであれば、貴方を咎める人間はいないでしょう。少なくとも、私は咎めません。


ただ、ほとんどの人達は、ストレスを発散させる為に違った策を講じると思いますから、悪口は依然リスキーな行為であるということは否めません。しかしそれ故に、ならではの魅力があることは、言うまでもありませんね。


ということで、今回はこの辺りで終りとしましょう。帝国お悩み相談所は、24時間フル稼働で営業中です。何か悩み事がありましたら、皇帝までお問い合わせください。真摯に対応させていただく次第です。それでは皆さん、お元気で。