道化が見た世界

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ムカンシン

公共空間には不特定多数の見知らぬ他者が存在する訳ですが、そういった場合、私達は往々にして「無関心」を貫きます。


電車内の空間を想起していただければ分かると思いますが、例えば隣に座っている女子高生にいきなり「スカート短いですね」とフランクに話しかけませんし、雑誌を読んでいる中年サラリーマンに「そろそろジャンプは卒業した方がいいんじゃないすか」と緩やかな勧告をすることもないでしょう。(蛇足ですが、混雑したエレベーター内の沈黙は、個人的にシュールで笑ってしまいます。)


私達は社会に生きていると言っていいですが、それは全体社会のほんの部分的な塊、共同体内でしかありません。ナンパなどに違和感・嫌悪感を覚えるのは、その人間が属する共同体から逸脱し、本来であれば「無関心」を貫くべき空間を率先して侵食しているから、という側面もあるかもしれません。


そして、本来であればその儀礼的無関心が貫かれている空間も、「実害」を被った人間が出現した場合には変容する可能性があります。奇遇にも、私はその空間が「変容」しそうになったまさにその瞬間に、電車内で出くわしたのです。


その日は、普段通り電車で家に帰る途中で、ドア付近の座席に座りながらiPodで音楽を聴いていました。と、そこに初老のおじいさんが数人の友人達と乗車してきます。そして、電車のドアが閉まり、発車時の振動で車内が揺れた刹那、



おじいさん両腕広げて吹っ飛んで来た



彼が身体の安定を求めて反射的におっぴろげた大翼の両腕は、ある種の凶器(アイアン・ウィング)へと変容し、私の眼前スレスレを通過して行った訳ですが、私の隣に座っていたサラリーマンの眼鏡に捨て身のクリーン・ヒットをお見舞いしていたのです。眼鏡は私達の上空を儚くも華麗に舞い、そのサラリーマンの膝元へと落下していきました。そして、当のサラリーマンは眼鏡を拾い上げた後、物言いたげにおじいさんを一瞥しますが、



おじいさん、皆目気付いてない



おじいさんは盛大にコケた後、照れ隠しの笑みを見せながら「いやぁ〜最近の電車は怖いねえ」とぼやきながらドア付近の仲間達の元へと戻って行きました。私は彼のおめでたい人間性を垣間見た後に、隣のサラリーマンを一瞥したんですが、



めっちゃ壊れたメガネ凝視してる



折り曲げる部分(?)の接触具合を丹念にクイクイしながら確認してたんですけど、完全に曲がっちゃいけない方向に曲がってるんすよ。僕は彼の隣に居たので、彼の殺気立った気配をいち早く察知できましたし、アイアン・ウイングの実害を被った同胞意識みたいなものも芽生えていたかもしれません。


そして、こここそが、儀礼的無関心空間の「変容」ポイントだった訳です。彼の中には「おいじじい、俺の眼鏡をどうしてくれる」と怒号をあげたい感情が、無論あったでしょう。しかし、その一言は、儀礼的無関心空間を変質させてしまう、明らかに異質なモノなのです。


結局彼は、「実害」を被ったにも関わらず、真っ当な怒号をあげることすらも無かったのですが、もし私達がそのような事態に見舞われた時、どう行動するのが一番正しいのでしょうか。


もし彼が女子高生であったのなら、私は同胞意識を昇華させ、「眼鏡大丈夫ですか?あのじじいに謝罪&弁償させましょう。そして、もし彼が両方を拒絶する態度を示したなら、恫喝し土下座させ、私が貴女の眼鏡料を喜んで払いたいと思っています。」と言っていたかもしれません。