道化が見た世界

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笑いの膨張主義的側面

面白い人間の中には、自分の面白さに無自覚的な人間(天然などの気質的起因ではない)と、自覚的な人間がいる。


そして、自覚的な人間を二分すると、自分のことを面白いと思っていて、実際に面白い人間と、実際はそうでない勘違い人間とがいる。後者の人種は、私が人生において最も唾棄し、忌み嫌っている人種である。


私の笑い(のスタンス)の特徴の1つに、膨張主義的であることが挙げられる。出来るだけ多数の人間に、可能な限り多くの人間に自分の能力を披瀝したいという欲求が根底にある。


というのも、私は小学生当時から「目立ちたい」という目的の為に「笑い」という手段を用いようと考えていた節があった。故に、私の中では、面白い人間というのは総じてその様な目的意識を持っているものだと思っていた。


私が冒頭で述べた「自分の面白さに無自覚的な人間」と言うのは、つまり、笑いの「膨張主義的側面」を認識していない人達のことである。


彼らにとって、共同体の中で「目立つ」こと、あるいは、笑いという能力を用いてそれに準ずる様な利益を得ることは価値の無いことなのだろうか。私が甚だ疑問に感じることは、その様な目的意識を持たずして、どのように笑いの能力を手に入れたのかということである。


そして、面白くないにも関わらず、自分のことを面白いと思っている人間を私が最も嫌っている理由は、彼らと対面した時に、私の中でうごめく黒々とした憤怒の念がそれを説明してくれるだろう。その怒りは、私の笑いに対する敬愛の表れであり、また、それを冒涜した人間への敵愾である。